詩のボクシング その2(02/8/31)


昨年テレビで見たアマチュアによる「詩のボクシング」全国大会が、今年も行われ、先日テレビで放映されました。昨年の様子はこちら
今回も、形式的には昨年と基本的には同じ。今年変わったのは、トーナメント戦だけでなく一回戦で敗れた8人の中から一人だけ敗者復活戦を戦うことが出来るようになったことです。復活戦に出れる人は、その日会場に来ていた観客の投票によって選ばれます。
まあそういった細かいルールの話はさておき、私自身は別に対決そのものはどうでもよくて、いかに面白い「朗読ボクサー」が現れるのか、そしていかに面白い詩を聞かせてくれるのか、これがやはり最大の楽しみなのです。

もちろん、詩の面白さに優劣をつけることは難しいし、そういうことを嫌う人もいることでしょう。しかし、この詩のボクシングという試みに対して、詩の優劣を競っていると考えるのはナンセンスなのかもしれません。どちらが面白いかを聞く側が強要されるからこそあの緊迫した雰囲気が生まれるのでしょうし、また読み手側もモチベーションを高められるのでしょう。ひとつの詩を聞いて、その詩の感想を求められるより、二つの詩を聞いてどちらが好きか、と尋ねられるほうが答えやすいし、話も盛り上がるものです。そういう意味でこのボクシング形式というのは、詩の朗読を聞くということが、本当にうまく現代の感覚に合うようにアレンジされているなあ、と感心するのです。

さて、今年の大会、はっきりいって前回よりレベルが高かったように思います。恐らく、各地方大会の参加者は前回に比べて相当多かったのではないでしょうか。全国大会に出た人は、すべて地方大会で優勝した人たちばかりなわけで、こうやって詩のボクシングというものの知名度が広がり、さらに裾野が広がったことは大変嬉しいことです。
特に昨年はパフォーマンスの面白さだけで、詩の内容自体が面白くないことも多かったのですが、今年は違いました。確かにパフォーマンス系の人もいたけど、それにしても詩の内容がどれも良く練られているなあと私には感じられました。こういったパフォーマンス系では中学生の福島路人さんが大変面白かったけど、これってほんとに中学生?と思わせる大人的センスを感じたのは私だけでしょうか。

秀逸だったのは準決勝まで進んできた、倉地久美夫さん、うみほたるさん、寺内大輔さんの3人。
寺内大輔さんは広島のエリザベート音楽院で講師をしている現代音楽作曲家。そして、彼の詩は、なんと一言も言葉がない!というよりは、まるで宇宙人?がしゃっべっているような感じで、いわゆるオノマトペなのかもしれないけど、本人は何かしらの言語のつもりなのだからこれはやはり人工語と言うべきでしょうか。
確かに哲学的に考えれば、これは詩という形式に対する挑戦ともいえるわけです。まるで、ケージの4分33秒のような。朗読から意味を剥奪すること、これは意味を伝えようとする形式に対する反逆なわけで、そこからまた新しい表現の可能性が起こりうるかもしれない、そういう試みだったと言えるでしょう。しかし敢えて私が言いたいのは、寺内さんの面白さは、そういった哲学的発想の転換というよりは、そういう表現方法を見事に演じきった役者としての彼の資質にもあると思います。簡単に言えば、その宇宙語を発している様子はむちゃくちゃ笑えるんです。最初に聞いたときは、私も涙を流しながら笑い転げてしまいました。このパワーは素直にすごいと思うのですね。
準優勝だったのは20代の女性のうみほたるさん。朗読の調子は、昨年優勝の若林さんにも似たトーンを感じましたが、私がすごいと思ったのは彼女のストーリーテラーとしての才能です。短い詩の世界だからこそ、突飛な展開があり得る。どのように話が飛んでいくのか、そしてその話が人々の心に何を残すのか、そういった計算が実に緻密に出来ていると思ったのです。「白夜」「カーネーション」の詩は、とても好きでした。もっと散文的なら合唱曲にもしたいと瞬間思いました。これ、はっきり言って私の大好きな世界なんです!
そして、今回の優勝者の倉地さん。
こんな究極のシュール詩が人々の心を揺さぶり、そして優勝までいくなんて!まず、そのことに私は驚きます。
確かにギャグセンスもある。時々、ついつい笑いたくなる面白さはあります。しかし、ナンセンスの極みである彼の詩は、結果的には何かぼんやりとした雰囲気を残すだけ。しかし、その雰囲気は何ともいえない寂しさとか拠り所のなさに繋がっているような気がするのです。こんなシュールな詩が、「現代詩ってよくわかんないー」という反応でなくて、読んでみると「なんか面白い」って感じるのがやはりこの倉地さんの魔力なのでしょうか。
彼の経歴もかなり特異です。現在は、建築イラストの仕事(つまり絵を描くのが仕事)をしているようですが、その一方シンガーソングライターとしてCDを出していたりもします(インディーズだとは思いますけど)。現在、母親と二人暮らしの37歳。まさに、こういう人こそ、芸術家と呼ぶのにふさわしいのかもしれません。

今回もうひとつ凄かったのは、決勝戦でのうみほたるさん、倉地さんの即興詩です。即興詩は決勝戦のみ行います。即興詩の題名はその場でくじを引いて与えられるのです。
うみほたるさんの与えられた題は「言葉」。しばらく考えた後、彼女の口から発せられた詩はこんな出だしでした。
「言葉の形を見たいと思った」
この一言だけでガーンと私は衝撃を感じました。この詩的センスに私は脱帽です。
この後、近所の子供のシャボン玉の話に展開させてうまくまとめるあたり、ただならぬ才能を感じます。即興であっても、形式に対しての希求、作品としての完成度の高さへの希求が身体に染み付いている証拠なのでしょう。
倉地さんも別の意味で凄かった。センスの良いシュールさ、これは持って生まれた才能なのだと感じます。どこかに計算高さを感じるとシュールでなくなってしまうのです。どこまでも倉地的なその世界に、私はただただ感心するばかりなのでした。



inserted by FC2 system