詩のボクシング(01/8/18)


皆さんは「詩のボクシング」というのをご存知ですか?
簡単に言えば、ボクシングのようにリング上で詩を朗読し、その優劣を審査員が決めることによって、詩の朗読の勝負をするという試みです。
公式サイトがありますので詳しくはこちらを: http://www.asahi-net.or.jp/~DM1K-KSNK/bout.htm

ちょっと前から話題になっていたようでその存在は気になっていたのですが、先日初めて行われた詩のボクシングのアマチュアによる全国大会の様子がNHK BSで放送されたので、初めて詩のボクシングというのを見てみたのでした。
もともと、詩の朗読というのは実に渋い表現形式なわけですが、この「詩のボクシング」はボクシングというある程度俗っぽいフォーマットを借りることによって、朗読という行為をポップに、そしてアクティブなものに変容させてしまうことに成功しています。また、番組の司会が小林克也であったりとか、そういう細かい部分に芸術というよりエンターテインメントとしての面白さを追求しているようにも感じます。

全国大会に出てきた人は様々です。
朗読といっても、ほとんど一人芝居的なパフォーマンスといった感じの人とか、かなり怪しげな人も多い。
詩というよりは、日常のささいなおかしな一幕を面白おかしく話しただけ(もちろん、それはそれで笑えるのだけど)とか、もう何でもありです。人前でしゃべるのですから、詩の内容だけでなく、その声色や間合いや姿勢がやはりそれなりに大きな要素となるわけで、朗読というのが文学的能力だけでない全人格的な表現なのだということを実感。
その中で、決勝戦まで残った二人はやはり秀逸でした。そしてやはりほっとしたのは、この残った二人がパフォーマンス先行型でなく、しっかりした文学的素養を十分に持っていたということです。
優勝した女子高生、若林さんは一回戦から圧倒的な支持を得た、まさに天才的な語り手でした。彼女の言葉は、ときに難解に抽象的になるのだけれど、そこには確かに彼女独自のイメージの世界があり、聞いた誰もを一瞬のうちにその幻想の中へ引き入れていくオーラを発しています。幻想といってもメルヘンチックではなくもっと内省的なのだけれど、彼女の言葉はどんな苦悩の表現であっても、透明で非現実な空間に人を誘うかのようです。パフォーマンスは全くなく、ひたすら朴とつに話す彼女の話し方は、しかし朗読の本流とも呼べるもので、この企画が決してキワモノに陥っていない証拠とも言えるでしょう。彼女の語り口を芸能人で例えるなら、薬師丸ひろ子といったところか。
準優勝の20代の男性、門倉さんもなかなかいいセンスをしていると思いました。彼は、常に一定したイメージを持っていた若林さんと違い、アイデアが豊富で一つ一つの詩に彼独自の奇抜な発想が巧みに盛り込まれています。日常のありきたりな風景を詩的な感性で切り取っていくのが非常に巧みで、詩人としての力を豊富に持っている人だなと感じました。

私がこの企画全体で思ったのは、やはり詩というのは本来語るものであったということ。
あまりに活字の世界に逃げ込みすぎた詩の世界を、こういった企画によってもう一度「語る」世界に引き戻すことは、日本の詩にとって重要な出来事ではないかとさえ思います。語るからこそ、平易な言葉が求められ、言葉のリズムが求められます。そしてそれこそ、歌われる詩の条件ともいえるわけで、私も多いに注目していきたいと思っています。


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