自己犠牲のテーマ(00/9/11)


宮沢賢治を読んでいると、この自己犠牲とでも呼ぶようなパターンのテーマが結構多いのです。
つまり、他人の幸せのためなら自分は犠牲になってもよい、という思想です。そう考えると「雨ニモマケズ」も、こういった路線の延長上にあるものとも思われます。
こういうテーマは、あまりに人間の精神にとって高貴なテーマすぎて、下手に描写するとうそ臭くなってしまいますが、賢治はその作品世界を寓話的、童話的な方向に求めることによって、人々の心を打つ数々の作品を残しました。
有名な「銀河鉄道の夜」では、この自己犠牲的なテーマが3つほど現れます。
最初は、二人の子供とその世話をしている家庭教師の話。
3人の乗る船が沈んでしまったのですが、この子たちを救うのが義務だと思った家庭教師は、二人を救助ボートに乗せるために人々の山を押しのけようとするのです。しかし、「そんなにして助けてあげるより、このまま神のお前にみんなで行くほうが、ほんとうにこのかたたちの幸せだとも思い」、結局、3人は沈みゆく船に残ります。どこからか、ともなく賛美歌306番の歌が聞こえ、たちまちみんなはいろいろな国の言葉でそれらを歌います。
次は、少女が語る蠍(さそり)の話です。
蠍はある日いたちに食べられそうになり、一生懸命逃げたけれど、いきなり前に井戸があってその中に落ちてしまいます。そして、どうしてもあがれないで蠍は溺れ始めますが、そのときこう祈るのです。「ああ、わたしはいままでいくつものの命をとったかわからない。そしてこの私がこんどいたちにとられようとしたときはあんなに一生懸命にげた。・・・どうしてわたしはわたしのからだを、だまっていたちにくれてやらなかったのだろう。そしたらいたちも一日生きのびたろうに。どうか神様、私の心をごらんください。こんなにむなしく命をすてず、どうかこの次には、まことのみんなの幸いのために私のからだをおつかいください。」そしてそのあと、蠍のからだはまっかな火になって星になります。
最後の話ですが、この物語の終わりで目が覚めたジョバンニが川に子供が落ちたと聞き、いそいで橋に向かって走ります。そのあと、今まで見ていた夢の中で一緒に旅していたカムパネルラが川に落ちたことを知るのです。そのカムパネルラは、バランスを失って舟から落ちてしまった友人のザネリを助けようと川に飛び込んだのです。ザネリを舟のほうに押しやり、ザネリは助かるのですが、そのあとカムパネルラの姿が見えません。川で溺れてしまったのです。そして、このとき初めてジョバンニは、夢の中で自分の死の知らせをカムパネルラが伝えに来たことを知るのです。

他にもいくつか似たような趣の話がありますが、もう一つだけ紹介しておきましょう。
「グスコーブドリの伝記」という話です。比較的長めの話ですが、本当の結末はあっけない自己犠牲にて終わってしまいます。グスコーブドリは小さな頃、飢饉で両親を失い、妹とも離れ離れになります。その後、様々な職につき、いろいろなことを勉強して大きくなっていきます。働き者で勉強熱心なグスコーブドリはついに火山局の研究員になります。ここでもいろいろと活躍をするのですが、最後にまた、この地方が飢饉になったとき、グスコーブドリは老技師に相談します。「カルボナード島の火山が爆発すれば、気候をあたたかく変えるくらいの炭酸ガスを噴くのではないでしょうか?」「それは僕も計算した。炭酸ガスが地球全体を包めば、気温が上昇する」「あれを今すぐ噴かせられないでしょうか?」「それはできるだろう。けれでも、その仕事に行った者のうち、最後の一人だけはどうしても逃げられないのでね」「先生、私にそれをやらしてください。」
火山を爆発させて気温を上昇させるなどSF的に問題ある設定かとは思いますが^^;、自分のような境遇の子供を作らないために、グスコーブドリは自分の命と引き換えにしてこの地方が飢饉から逃れることに成功するのです。
この「最後の一人」ネタはアメリカのSF映画の専売特許とも言えますが(インディペンデンスデイとかアルマゲドンとか)、やはりここは賢治の格調高さのほうがもう一枚上回りそうです。
それにしてもこれらの自己犠牲のパターンは、いずれも世のため人のためになるのなら、という気持ちが前提となっていますが、そのために「自分が犠牲」になることにある種のマゾヒスティックな欲求さえ感じてしまいます。賢治にとっての「世のため人のため」とは、持つものが持たざるものにほどこしを与えるようなものでは決してなく、同じように人を助けるための熱血漢な奉仕活動とも違うのです。もっと冷静で知的で乾いていながら、何のためらいもなく自分のからだを差し出す、そういった趣きなのです。「本当にみんなの幸いのためなら、僕のからだなんか百ぺん焼いてもかまわない。」 こんな言葉は、とても安穏と暮らす私には言えそうもないけど、こう言わしめる感受性には多いに感動してしまいます。



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