「葵」見てます(00/6/11)


今年は年頭からNHKの大河ドラマ「葵」を見ています。ここまでくると結構意地になって、出先でもホテルで見たりするなど、毎週見るのが習慣になってきました。
大河ドラマウォッチャーの私としては、今回の大河ドラマ実はなかなか気に入ってます。以前も書いたように「秀吉」は元気バカみたいであんまり好きでなかったし、戦国武将というとなんかあるステレオタイプみたいな描き方があって、そういうのが今一つ時代遅れな感じがしていたのです。それに比べると、今回の大河ドラマはなかなかいい線を行っていると思います。
どうして、これまでの戦国物がステレオタイプに感じたかというと、これは「葵」を見ているから気がついたのですが、これまでの戦国武将の大河ドラマはたいてい主人公の一生を扱っており、誕生から青年期を通して、壮年、そして死を迎えるというパターンで放映されます。主人公が一人であるからこそ、作家や脚本家の想像上の人格が一人歩きします。そして、実に人情に溢れ、行動力に満ちた、一人の勇敢な人格を作り上げることになります。ここでは人間的な弱さでさえ、その人間の魅力として描かれるように最大限配慮されるわけです。
ところが今回の「葵」、徳川三代を描くのであって、家康が唯一の主人公でない。したがって、今回表現されている徳川家康は決して家康だけが主人公の頃には描かれなかったような、タヌキ親父ぶりというか、老獪なやり手ぶりが描かれています。脚本が主人公を一人に絞らないために、一人一人の個性を客観的な立場で強調して描くようになり、それがこれまでの戦国物で感じていたようなウソ臭さから解放されているように思うのです。
また同じく、一人の武将の生い立ちから扱わないために、正月にいきなり関が原の戦いを放映するなど、思い切った構成が可能になりました。本来歴史は絶えまなく流れているわけで、歴史ドラマでいきなりある時点から始めようとすればそれまでの事実をいくらか説明するのが普通のやり方なのですが、今回はそんなことはお構いなしに、わからないことはわからないまま無理やり話を途中から始めてしまうその潔さがとても良い効果をあげています。歴史好きを自認する人なら、その前の歴史事実を思い出しながら、いきなりドラマの真ん中に放り込まれた快感を味わうことができるでしょう。しかも、何の前準備もなくいきなり関が原。結果的にそこに至るまでの過程を、またその後に放映するわけで、この逆転の構成がまたなかなかいい味を出しています。
もう一つ、徳川と豊臣の攻防の中で亡霊のように現れるのが「太閤殿下のご威光」なる言葉。ところが物語は、豊臣秀吉が死んだ直後から始まっており、秀吉は番組の中には全く出てこないのです。これほどまでに多くの登場人物を縛り付けている太閤秀吉という存在が、全く映像に表れないままでいる、というのが、またセンスの良さを感じさせます。回想シーンなどで秀吉を出してしまったら、一気に視聴者の想像上の太閤像がくずれ、現在のドラマを成り立たせている太閤殿下という呪縛を弱めてしまうでしょう。
全体としては、大河ドラマ的クサい芝居をさらに押し進めて、ほとんど劇画チックと呼べるほど、マンガ的な映像であると思います。このあたり賛否両論あるでしょうが、まあ古い話ですし、マンガを読んでいるような感覚のほうが軽い感じで見れていいかもしれません。逆にここまでマンガ的に映像を作ることができることに感心さえしてます。

さて、今後豊臣家と徳川家はどうなっていくのか(大坂夏の陣で豊臣家は滅びるんだけど)、秀忠、家光がどのように徳川幕府を磐石なものにしていくのか、まだまだ目は離せないですね。


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