気になる作曲家 プーランク篇(00/2/20)


本当は「気になる」なんて書くのは申し訳ないくらいで、私にとってプーランクは大好きな作曲家の一人です。
プーランクの生年没年は1899-1963で、昨年が生誕100年のプーランクイヤーだったので、音楽誌の特集や、演奏会などで接した人も多いかもしれません。きんさん、ぎんさんくらい長生きしていれば、まだ生きていたのにね。
私が最初にクラシックで聞くようになった作曲家がドビュッシーなんですが、自分自身の興味がドビュッシーからラヴェルへ、そしてラヴェルからプーランクにだんだん移ってきました。もちろん、ドビュッシー、ラヴェルが嫌いになったわけじゃないんですけど、音楽の聴き方がだんだん変ってきたのかもしれません。

ドビュッシーを最初に聞いていた頃は、なんとなくぼんやりしたイメージを音楽で感じて、自分自身が現実逃避できるようなそんな楽しみがあったように思います。ドビュッシー自身、教条主義的なものを嫌い、自分の感覚だけを信じて作曲を続けていった。ドビュッシーが壊した音楽の常識はたくさんあったけど、間違っても自分の作曲法を整然とまとめて発表するようなことはしていません。そこがかっこいいわけです。自分の作曲技法や、手法を発表するのはシェーンベルグ以来たくさんいますけど、ただ思うがまま感じたまま作曲したらこんな曲が出来たっていうほうが、よほど芸術家らしく感じます。そういった創作態度が、自分にとってとても共感を感じたのです。
ラヴェルは、ドビュッシーよりもっとかっちりした音楽で、私が最初に好きだったラヴェルの曲は割とドビュッシーよりの「ダフニスとクロエ」でした。テキパキとしたラヴェルの感覚が、ドビュッシー好きだったころにはいまいち馴染めなかったのですが、ラヴェルのピアノ曲や室内楽を聴くようになってから、圧倒的なラヴェルの作曲の才能を感じるようになったのです。私にとっては、バッハとか三善晃みたいな音楽の構築における圧倒的な天才性をラヴェルに感じます。しかし、ラヴェルは一方でその才能を世に知らしめるだけの人間的なバイタリティを持っていなかったと私には思われます。
そして、プーランク。音大を出ないながらも独学で音楽を学び、そしてフランス六人組に参加。六人組にはオネゲル、ミヨーといったより先進的な作曲家もいたし、時代はよりアバンギャルドな作風に変わっていたのに、それとは逆行するかのように都会的でまたあえて通俗的なメロディを使おうとしているようにも思えます。しかし、前衛時代においてのほどよい通俗性が、結局は六人組の中で最もよく演奏される作曲家になることにもなったのでしょう。
私がプーランクと接したのはこれまで主に合唱曲が中心でした。プーランクはドビュッシー、ラヴェルと違ってかなりの量の合唱曲を作っています。宗教音楽に深く傾倒したことも大きいでしょう。無伴奏合唱曲は和声学の基本ですし、その作曲家の音楽的なエッセンスがもっとも現れる表現形式だと思います。一般的にはプーランクの合唱曲は難しいと言われたりしますが、この時代に書かれる曲としてはかなり簡単な部類に入ると私は感じています。ただ、プーランクの尖った和声感覚のエッセンスが、合唱屋を悩ませていることは確かではありますけど。

最近、プーランクの生誕100年を記念したCDでプーランクの室内楽ばかりを集めた2枚組のものを買ったんですが、これがなかなかよいのです。晩年の木管のソナタ(フルート、オーボエ、クラリネット)とか、ヴァイオリンソナタ、その他木管アンサンブルなどが入っています。プーランクはよほど木管が好きだったのでしょうか。確かにある種の軽さ、運動性、哀愁のある旋律が木管にぴったりです。
これまで、さんざん通俗的とか言っておきながら、やっぱり和声的にはとても面白く、またラヴェルにも似た才能をあらためて感じました。表面的なイメージにどうしてもとらわれがちですが、実はプーランクは十分に音楽の天才ではないだろうか、と私は勝手に思っているのです。



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