上下関係(00/1/9)


前回の「怒れ、日本の中流階級」の項で、日本人の精神構造まで考察すべき、ということを書きました。そういった日本人のメンタリティについて、ちょうど思い付いたことがあったのでそのことについて述べてみます。
結論から言うと、日本人は相手と自分の上下関係を非常にはっきりさせたがる性質があるのではないでしょうか。
自分の身の回りで想像してみましょう。
例えば職場内で、ある人と仕事で知り合ったとします。そのとき、会話の中でまず相手の入社年度を聞きたがったりしませんか?その結果、彼の入社年度により自分の話し方が「ですます調」から、あるいは「ですます調」にだんだん変わって来たりすることがありませんか。あんまり露骨に変わるのもなんですが、新しい人と出会ったときにその人との上下関係を認識したがる意識は誰にでもあると思います。そもそも、日本語自体がそのような上下関係を認識することなしに語れない言語なので、いっそうそういった態度を助長させる原因にもなります。もちろん、我々のそういった性質が言語に反映しているとも言えるわけですけど。
職場でない一般的ななんらかの集まりがあったとき、気になるのは年齢です。それによって同様に言葉遣いが変わってきます。もちろん、人によって年齢に関係なくタメ口をきける人もいますが、どちらかというと少数でしょうね。
こういったことはあんまりにも何気なく行っているので、それほど意識したこともないかもしれませんが、世界的に見たらかなり特殊な状況ではないでしょうか。もし外国人が日本語を習った時に、どういう人に対して「ですます調」で話したらよいか説明するのは大変そうにも思われるのですが、そのあたり当の在日外国人はどうしているんでしょう。
政治家の世界では、ご存知の通り当選回数がこの上下関係を確立するのに大きな要素となっています。新聞にも書いてありましたが、最近二世議員が跋扈する理由は、親の選挙区を引き継ぐことによって比較的若年のうちに当選を重ねることができるからであり、そうなると同じくらいの年齢でも当選回数の多い二世議員のほうが出世しやすいということになるのだそうです。
どの世界でも同業他社の集まりみたいのがあります。もちろん、この場においては平等な関係のはずなのですが、会社の売上や規模などによってやっぱり序列が出来てきます。この集まりが入札などの利害関係を持っているとすると、この序列の中で一番上の会社がイニシアチブをとってその便宜を図ろうとします。この序列を中心とした内部的な秩序を作ることは一見合理的に見えますが、外部から見ると非常に不透明な活動をしているように見えます。これがもちろん談合体質につながっていくわけです。
もちろん、教師と生徒とか、上司と部下とか立場的に明確な主従関係があるときは、日本人であろうとなかろうとしっかりした上下関係を作る必要はあるでしょう。しかしこのときでさえ、必要以上にへりくだったり、いばったりするのに違和感を感じることはあります。

上下関係をはっきりすることによって、個人が取るべき行動が明確になります。それはまさに本音ではなく、建て前の中で生きていく生き方そのものです。それぞれの人が自分に与えられた役割を演じること、これが「実」より「名」を重んじることになり、予定調和のうちに世の中が動いていくことを良しとする意識を生んでいるのではないでしょうか。
このような国民性が、この変化の時代の大きな足かせになっている大きな原因のように思います。常識を破るようなアイデアを持っている人はたくさんいるのに、彼らが一番苦労するのはいかに自分のやり方が常識破れでないか説明することなのです。そうでなければ、ドラスティックな変化を嫌うみんなの賛成を勝ち得ることはできないのですから。


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