凝り性その2(99/7/11)


前回はラジコンについてお話しましたが、今回は今の自分につながっている作曲のことについて書いてみようと思います。内容的には、私のプロフィールとちょっとだぶりますが。
作曲を趣味として始めたのは高校に入ってちょっとした頃でした。高校の学園祭が6月にあるのですが、うちの高校の学園祭は文化クラブの発表の場というよりはクラス対抗行事のほうがさかんで、その中の一つとしてクラスで自作自演で曲を発表する南高ソング(略して南ソンと呼ぶ)というのがありました。1年の時の学園祭で各クラスが発表する南ソンの歌を聞いて、自分も曲を作りたいと思ったのがきっかけとなりました。
もちろん、ここで作りたいと思った曲はクラシックなんかではなくて、まさにポピュラー曲です。この時期の作曲という行為は、旋律を作ってコードをつけて歌詞を作る、までを言っています。
ヤマハ音楽教室にいっていたこともあり、多少音楽には自信があったつもりだったのですが、実際書き始めてみると、そんな簡単なものじゃないのです。私の場合、作曲という行為は五線譜に書くものと最初から思っていたので(いまどきなら、歌をテープに録音するだけで曲を作ったという人もいると思う)、まずは思い付いたメロディを五線譜に表わすという苦労から始まりました。
最初の頃というのはとかく複雑に考えすぎてしまうもので、8分音符や16分音符や3連符などがぐちゃぐちゃに詰まって、あげくの果てに一小節の中に拍以上の音符があったりとかしたものです。しかし、そんなにバラード調のものでなければ、4分音符と8分音符くらいでだいたい曲は書けるし、そういう旋律がすらすらと五線譜に書けるようになると、複雑な旋律もだんだん書けるようになってきました(ここで言う複雑な旋律とはあくまで音価が短くシンコペーションが多用されているような旋律という意味)。
次に問題なのはコードです。音楽には和音というのがあって、それをコードネームで記すというのが一般的らしいのはわかっていたのですが、そのコードの記述の仕方が分からないし、そもそもコードの一般的な理論が良く分かっていません。早速、何かしらの本を買って調べ、なんだか適当にコードネームをつけ始めました。今見ると、AmやEmと記すべきところをA,Eと書いてあったりして、良く分かってないまま適当にやっていたのがわかります。でも、ものを作るというのは理解より先に実践ありきだと思っているので、今となっては微笑ましい思い出です。
当時、私にとっての大きな参考書はアイドル雑誌「明星」の付録についている歌本でした。私自身は本編のアイドルの記事には全く興味を示さなかったものの、妹に「明星」を買わせその付録をしっかりもらっていたのです。今でも、この明星の歌本のこだわりには頭が下がります。というのは、この本についているコードネームは全く手加減無しで、すごいテンション音が記述されていて、下手な音楽雑誌よりよっぽど勉強になるのです。また、そのコードの押え方をピアノとギターの両方で図解されているのです。
私の場合理系的なので、この押え方を丸暗記するのでなく、そこで図解されている構成音から、コードネームの表記が何を示すかというのを研究しました。そのかいあってか、コードを覚え始めてから半年ほどで大体のコードは読めるようになったと思います。また、自分の音の好みも、単純なコードよりはm7b5とか、7b9とか、maj7thとか9thの響きに興味を持つようになっていました。その後いろいろ知識は増えても、自分の和音の好みの傾向はもしかしてこの頃から変っていないのかもしれません。

こんな感じで、高校の間、約100曲近い曲を作りました。今となると、曲の内容はともかくこのときに書きつづけたことが大きな財産になっていると思います。高校2年のときから合唱を始めましたが、同じく分析ぐせで、合唱曲の和音を調べたりしてみて、なんだ、クラシックなんていったってポピュラーとたいしてかわんないじゃん、などと偉そうに思ったものです(今考えると、和音の転回などもっと学ぶべきところは多かったのですが、コードしか知らない当時、和音の転回という概念自体がわからなかった)。
まだまだ話はつきませんが、今回はこんなところで。



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