楽譜を読む その3 -曲のミクロ構造-(03/12/20)


曲の構造と言ってもいろいろな要素があるので、まず大きくマクロ的な構造とミクロ的な構造に分けて考えたいと思います。マクロ構造とは、曲の形式と言われるような類のものを想定しています。またミクロ構造とは、恐らくもっといい音楽的用語があるような気がしますが、例えば和声とか対位法的に処理される各声部の動きとでも言いましょうか。

ミクロ構造を演奏に反映するとは、簡単に言えば、各声部の役割を認識し、その役割にふさわしい演奏をするということです。何だか当たり前過ぎるように思えますが、私が好むようなメリハリのついた演奏というのは、正直言って普段の合唱演奏ではなかなか聴けないと感じます。一般に(日本で)素晴らしいと言われる演奏も、精神性だの、宗教性だの怪しいスローガンが先走った、どちらかというと演奏者の内向きな指向が目立つ演奏だったりすることが多いのです(このへんは好みの問題もあるので、一概には言えませんけど)。

私が演奏者にまず考えて欲しいことは、この曲を始めて聴く人に、この曲が表現しようとしていることを伝えるにはどうしたらよいか、ということです。もちろん、これも当たり前と言えばそれまでなのですが、現実として自分の勝手な思い込みを勝手な表現で演奏しているに過ぎない場合が多くはないでしょうか。果たして、その表現で、自分が伝えたかったことが本当に聴衆に伝わるのか、常に自問して欲しいのです。
例えば、個人的に良いと思わない演奏例を具体的に言うと、テキストの意味を文学的に解釈し、これに対してある一定の方向性を決め、音楽全体をその方向性で全編塗りまくるような演奏などがその一つ。テキストの意味を解釈し演奏に反映させる必要はもちろんありますが、ここに「この曲を始めて聴く人に、曲が表現しようとしていることを伝える」ことがおろそかにされてしまう原因が潜んでいます。音楽はそれ自体で十分に曲の内容を伝えるように書かれているはず、という前提が忘れ去られ、音楽的な仕組みを(恐らく気付かないまま)無視してしまっているのです。
上の例で言うなら、特定パートが印象的なメロディを歌い、他パートがそれをサポートするようなミクロ構造になっているときに、どのパートももったいぶって重く歌い過ぎてしまったらどうでしょう。言葉の意味から、表現として全体的に重くしたいのかもしれませんが、結果的に言葉が明瞭に聞こえなかったり、作曲家が一つのパートに歌わせようとした意図が消えてしまう可能性があります。「なんか重い・・・」が伝わっても、なぜ重いのか、が伝わらなければ意味がないと思うのです。

曲の構造把握を、文章で一般論として言うのはとても難しく、結局は気付くか気付かないか、ということになってしまいますが、私が楽譜を見る際、気にすることをちょっと挙げてみましょう。

うーん、やっぱりあまりに一般的なことしか書けませんが、これらを意識し、特定パートを強調したり、入りを強調したり、逆に特定パートを抑えたり、軽くレガートにしたりマルカートにしたりするだけで音楽が非常にすっきりし、曲のミクロ構造を明確に示した演奏になると私は思います。
そして、そういう演奏が聞く人に音楽の形を明確に伝えることになり、結果的にこの曲が表現したかったことを伝えることになるはずです。


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