音と音楽(03/10/26)


ちょっと前ですが、一流芸能人かどうかとか言って、目隠しで安物のヴァイオリンと例えばストラディバリウスを聞き比べてわかるかなんてのがありましたね。
ちょっとばかり弾いただけでは全くわからないし、やっぱりプロじゃないとこの違いはわからないんだなんて、ついつい思ってしまいます。もちろん、もっと特徴的な弾き方をするとか、弾く場所や録音方法によっても違うし、だいたいテレビでは楽器の持つ微妙な響きが伝わるはずもなく、そういう意味では判断は難しくはなるでしょう。
それにしても、わかる人にはわかるんだ、という感覚は多くの人が持っていると思います。それは確かに間違いではないのかもしれないけど、そういう微妙な音の違いがわかることが権威化してしまい、音楽を鑑賞する楽しみから一段と遠ざかっているような気がするのは私だけでしょうか。

この手の怪しい話はオーディオにおいて顕著です。
特に音源がデジタル化してから、デジタルはある帯域以上の音を切ってしまうから音が悪い、とか言われたり、それに呼応するかのように、44.1kHzのサンプリング周波数を上げたり、16bitを20bitや24bitにしたりとか、メーカー側もいろいろな製品を出してきます。
現在、プロレコーディングでは 24bit, 96kHz(「にーよんくんろく」と呼ぶ)というのが一つの合言葉になっていて、デジタルレコーディング機器の新製品は今やほとんど、「にーよんくんろく」をサポートするようになりました。私はこの流れ自体を否定するつもりはありません。なぜなら、レコーディング段階では、その素材をなるべく原音に近い状態で保持しておいたほうが、加工したときに音質の劣化する度合いが低くなるし、ダイナミックレンジのマージンを取っておくという意味で、より細かい情報は必要になるからです。(わかりやすく例で言うならば、小数点の数字で計算をするときに、計算する前に四捨五入をせずに、最後に四捨五入した方が正しい値になりますよね。まあ、そんなもんだと思ってください。)
しかし、それでも出来上がったマスター(原盤)が、24bit であったり 96kHz だと、音が違うという人もいるのです。再生系の性能にも寄りますが、もはやそれは音楽の楽しみと違うんじゃないの、と私は言いたくなってしまいます。
例えば、MDとCDの音質の差を皆さんは感じることがあるでしょうか。実は、私とある試聴の際に、この二つが場合によってかなり音質が違うということを体験しました。しかし、これはもちろん非常に恵まれた再生環境での話であり、ある意味、想定される再生環境を多少限定することによって情報量を5分の一にまで下げたMDの規格はまあ、大したものだとも言えるわけです。

たまたま、楽器を作る世界にいるおかげで、こういった一音にこだわる姿勢にはいろいろと刺激を受けたこともありましたが、特に止めどもないデジタル化のために、ある意味オカルティックとも言える「いい音」信仰には、戸惑いを感じることが多いのです。生楽器のように実際に物理的に音を出すとき、楽器の材質や機構を工夫するというのは、技術そのものに芸術性を感じることも出来ます。しかし、サンプリング周波数や量子化ビット数を変えたり、演算方法を変えたりするその先には、技術が理解できない音楽家の技術屋に対する不審と、技術屋の音楽家に対する「いい音」がわかるはず信仰のずれが生じ、なんだか非生産的な連鎖に陥る危険を感じます。

「いい音」というものには常に権威が付きまといます。場合によっては、「いい音」の秘密を暴こうとせず、つまり権威など剥がさないままに楽しむというのが、正しい音の鑑賞法なのかもしれません。ある意味、一流である人ほどこの付き合い方がウマいだけとも思います。
音楽でなく、たった「一音」の音の良さにあまりにこだわるのは、正に権威主義の裏返しで、違いのわかる自分を演出したいそんな意識が見え隠れして、これこそ私には素人臭さを感じてしまうのです。


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