発声とアンサンブル能力 その2(03/7/12)


もうちょっとこの件、少し具体的な内容で整理してみましょう。
前回、アンサンブルの能力を以下のように分けてみました。

  1. 音楽を聞き取る耳の能力
  2. 音楽で表現したいことを十分把握し、そのために自分がすべきことを正しく理解できる能力
  3. 自分の考える音を実際に出せる能力

残念ながら、ほとんどの人はこの中で3にしか興味がないのです。従って、ボイストレーニングなどの発声の訓練は、3のようなレッスンを誰しもが想像し、期待しているわけです。
正直なところ、ボイストレーニングを受けて見違えるほどうまくなった、というような人を私はあまり聞いたことがありません。高校生くらいならまだ可能性はあるかもしれないけど、なかなか大人になってから驚くほど声が良くなるというのは難しいでしょう。でも、なぜかそういう現実を直視できている人が少ないような気がするのは私だけでしょうか?

では、逆になぜ合唱をやっている人が、そんなにも発声にこだわるのでしょう。
だいたい声というのは、他の楽器に比べるとあまりにバラつきが大きいのです。だからこそ、いい声の人と、うまくない人の差も大きい。合唱団の中でも表立っては言えないけど、各人の声楽レベルの差はかなり明確なものです(っていう話は、結構タブーだったりもするわけですね^^;)。だから、いい声になりたい、という気持ちは余計切実に違いありません。
もちろん私とて、○○さんくらいいい声持ってればなあー、と思うことはしょっちゅうあります。恐らく、同じような想いを合唱団員の多くの人が思っていて、それは合唱団全体で一つの素晴らしい音楽を作っていくということと同じくらい個人にとって重要なことだったりするものと推察します。
もう一つは、ボイストレーニングというのは肉体のトレーニングであるわけで、ある種の体育会系的なノリをどうしても感じてしまうのは確か。先生と生徒という関係の中で、叱咤されながらも何かを習得するために一生懸命になること、それ自体に甘美な憧れを感じている人も多い気がしているのです。それは個人による地道な練習とはまた違い、先生がそばにいて叱咤してくれることが大事なわけですね。なんか冷ややかな言い方で大変恐縮ですが、もちろんこういう世界の中で、成長していく人もいるわけだから一概には否定はできませんけども。

でも、音楽の本当の実力は、もっともっと多元的で繊細な感覚と表裏一体を成していると私は思うのです。
一見回り道かもしれないけど、自分がより良い音楽を演奏するためには、自分がさらによい演奏を常日頃聞いていることが大事だし、音楽にまつわる知識を得ることも必要です。こういった音楽活動をするための足腰となるような体験を重ねることが、上記での1や2の力をつけていくことにつながります。
しかし、世の合唱団員はその他の演奏形態の人から見れば、驚くほどそういった活動をしていません。これではアンサンブルする心はどうしても育たないのではないでしょうか。実際のところ、合唱をやっている人の多くは、むしろ、お花やお茶、習字を習っているような感覚に近いのかもしれません。それらの習い事は個人の力が付くことが第一目的なのです。習字のアンサンブルなんて聞いたことないですしね。「歌う」ということについて個人の力が付くことといえばやはり「発声」。だからこそ、多くの人は合唱団に入ってまず発声を気にしてしまうのでしょう。

私は発声練習やボイストレーニングを否定しているわけでは全くありません。むしろそれらは、オーボエの人がリードを一生懸命削るがごとく、合唱にとっては大事なことです。
しかし、音楽のアンサンブルの楽しみそのものを感じていくためには、もっともっと多元的な興味の方向が必要だし、そのような努力をしなければ、自分の声を制御することもままならないはず。
音楽の表現は、指揮者だけが考えればいいものではありません。指揮者が伝えることができることはほんのわずかで、一人一人の音楽表現力はそのまま音楽に現れてきます。そのときその演奏者たちが、どのくらいアンサンブルの楽しさと厳しさを知っているかは、音楽を聴けばわかってしまうのです。



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