コンピュータ浄書で大事なこと(02/7/13)


コンピュータ浄書について考えると、楽譜の品質とは一体なんだろう、ということを考えざるを得なくなります。
コンピュータ浄書が一般的でなかった頃、作曲や編曲した直後の楽譜は当然手書きで配られていました。手書き楽譜では、きっちり几帳面に定規で書くような人もいたし、逆に読み辛い楽譜を書く人もいたでしょう。おそらく、その当時の楽譜の品質とは、今コンピュータ浄書の話をする以前のレベルだったと私は思います。音符がミなのか、ファなのかわからないような楽譜がたくさんあったわけですから。
ちょっと前までそういうような状態だったのですら、まるでプロの楽譜浄書屋のような品質をコンピュータ浄書に求めるのは酷だと思いますし、そこまで求める必要もないのではないかと私は思います。もちろん、実際に楽譜で商売するような人なら話は別ですが、そうでないのなら、手書きよりも品質が高くて、しかも楽譜製作の手間が省けるのならそれで十分コンピュータ浄書の導入意義はあります。
例えば、プロの浄書の世界では、各音符の距離も非常によく考えられて配置するようです。旗の向きが上向きか、下向きかでも読みやすいような隣り合う音符の距離は変わります。最近の浄書ソフトはそこまで考えてあるものもありますし、恐らく設定できるものもあるでしょう。もちろん、付点4分音符と8分音符が等間隔に並べてあったら、それは非常に読みにくい楽譜でしょうが、さすがにその程度のレベルならどんな浄書ソフトだってたいていはやってくれます。
きれいに出力されるからこそ、音符間の距離とか、スラーの感じとか、一般の楽譜と違うのが気になってしまうのかもしれません。しかし、楽譜を読む人が十分楽譜の内容を認識できるのであれば、若干の奇妙さは許容できるものです。

基本的には、以上のようにコンピュータ浄書に関して肯定的な感覚を持っています。
しかし、楽譜を書くのはあくまで人間です。コンピュータ浄書は楽譜を書く手間を楽にしてくれるだけで、音楽の品質までは良くしてくれません。当然、楽譜を書くための十分な音楽的知識がなければ、まともな楽譜が出力されようもありません。
あと、見栄えのセンスも所詮書く人まかせです。五線の大きさと、各パートの間隔、各音符の密度など、たいていは楽譜ソフトで設定できますから、これも楽譜を作る人のセンスでしか語ることはできないでしょう。恐らく、コンピュータ浄書を使っても見辛い楽譜を書く人は、手書きではもっと読み辛いのです。それは結局はその人の音楽的なセンスに依存するのだと思います。

そうは言っても、楽譜ソフトによっていろいろクセはあります。いくつか気になることを書いてみましょう。
一つは臨時記号の扱いです。臨時記号の書き方は、一般的な楽譜でも統一されているとはいい難いです。面倒なので楽譜ソフト任せになりますが、そうするとソフトのクセが現われてきます。例えば、臨時記号のキャンセルはどうすべきか。一般的な常識では、前の小節に出てきた音符の臨時記号はキャンセルするわけですが、何も指定しないと、同じ小節内でしかキャンセルしないこともあります。逆に、どこまでもさかのぼってキャンセルを付けてくれる場合もあります。また、違うパートについた臨時記号でも、作曲者が演奏者に気をつけて欲しい場合はカッコ付でキャンセルをつける場合もありますが、こればかりは自動では出来ないので、自分で設定するしかありません。もう一つ臨時記号ネタでは、タイで小節をまたいだ音に臨時記号がつけられた場合、新しい小節の音符にも臨時記号をつける場合、逆に新しい小節の音符には付けない場合があります。自分の流儀にあったように設定ができるといいのですが、なかなかそうはいかない場合も多いのです。
もう一つは声部の扱い。同じ五線内で複数の旋律がある場合、それらを声部が別のものとして扱えるようになると便利です。特に、ピアノ楽譜では、声部が自由に扱えないと、一般的な楽譜でさえ書くことができません。かなり昔は、一つのパートに複数の声部が書けないものも多かったように思いますが、さすがに今残っている浄書ソフトではそれはないでしょう。
しかし、声部というのは常時分かれているわけではありません。例えば合唱なら、div.は声部が分かれた状態と考えてよいのですが、絶えず分かれているわけではないので、楽譜上はたまにしか声部を分ける必要が起きません。こういうことが出来る柔軟性が、浄書ソフトには大事です。また、声部を分けた場合、下側のパートは下に旗を立て、上側は上に立てますが、両パートが同じリズムなら旗は一まとめにしても読めるので、声部として処理しなくてもいいかもしれません。
とりあえずこんなところで。


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