戦争と芸術(01/10/13)


アメリカによるタリバンの攻撃が始まって、何やらきな臭い情勢になってきました。
世界全体が情報化され、頻繁に人の移動が起きる現代において、こういった戦争が対岸の火事で無くなってきています。事実、今回のテロでは多くの日本人も犠牲になってしまいました。
恐らく、有史以前より人間の歴史に戦争がないことはほとんどなかったでしょう。私たちを戦争に駆り立てる本能みたいなものは依然変わっていないのに、兵器ばかりが巨大化し凶暴化している現代、その被害は計り知れないものがあります。

芸術は古来、そういった社会情勢とは無縁ではなかったし、むしろ人々を熱狂に駆り立てる手段として積極的に機能してきたように感じます。第2次世界大戦以前においては、人々を戦争に駆り立てるような愛国心を賞賛するのはむしろ当たり前のものだったと思います。
日本でも戦時中は多くの軍歌がありました。旧ソビエトでは大戦後も愛国心を鼓舞するような音楽が優遇されました。自国の勝利を祝う音楽もたくさんあります。チャイコフスキーの「1812年」などは、戦争そのものを描写した音楽で、最後にはロシアの勝利が祝われるという構成になっています(だったと思う)。
合唱曲でも、ルネサンス時代のフランスの作曲家ジャヌカンによる「マリニャンの戦い」という曲があります。これは、アカペラ合唱にて戦争を描写した音楽で、曲の最後は「勝ったぞ、勝ったぞ!国王万歳!」なんて感じで終わります。曲の途中は完全に、戦争の様子を音で表現しています。もちろんルネサンス時代の音楽ですから、むちゃくちゃな複雑な技法とかはないのですが、各パートが「ボン、ボン」とか「パチパチ」のような戦争時を思わせる擬音を歌います。その音楽からは、戦争の悲惨さは微塵も感じません。それらの表現はむしろ牧歌的とさえ言えるでしょう。歌う我々も、遠い昔の戦争の様子を思い浮かべ、「さあ、戦争だ、相手をやっつけるぞ!」という勇ましい雰囲気だけを強調することにより、現代的戦争とは無縁なファンタジー的世界を表現しているのだと言えるかもしれません。

しかし、もし今の作曲家がこんな曲を書いたらどう思いますか?
地雷が爆発する音とか、スカッドミサイルが飛んでくる音とか、有毒ガスが放出される音とか、細菌兵器でやられる音とか....。多分誰もが不謹慎この上ないと感じるでしょう。もちろん、それは大量殺戮兵器からイメージされる非人道性が、牧歌的な表現と全く結びつかないからでしょう。
しかし、何より芸術家をとりまく環境が変わってきているということもあるのではないでしょうか。特に二次大戦後の芸術は政治的プロパガンダに参加するのを良しとしない傾向があるし、戦時の愛国心よりも国際平和を願うことをテーマとしているほうが圧倒的に多い気がします。
それが、知的に成熟したせいなのかはわかりません。でも、貧しい国ほど、宗教的熱狂や、愛国的熱狂に支えられているのを見ると(例えばタリバン政権などが良い例)、戦争がなくなるためにはやはり世界全体がより高く知的に成熟する必要があるのかもしれません。
ただ、あえて私の感性で苦言を呈するならば、戦争の悲惨さを訴え反戦的なメッセージを持つ音楽は、どう書いても極端にシリアスにならざるを得ず、それがただの建て前としてしか機能しない可能性があるのではないか、と感ずるのです。戦争反対というメッセージそのものはまず間違いなく誰もが共感する思想であり、だからこそそれらを安易に扱うなら偽善とのそしりを免れ得ぬのではないか、とやはりへそ曲がりの私はそう思うのでした。



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