やっぱり歌がヘタ(01/6/30)


誰のことかって、私のことです。-_-;
特に最近自分のヘタさ加減を認識する場がちょっと多くて、余計気になります。
ただ、多くの人と同様、だからどうすればいいのか、と結論を出すことは非常に難しいことだと実感しています。

自分の何がヘタなのか。
声はどうしても生まれつきのものが影響します。元々声のでかい人、小さい人がいます。面白いことに声がでかい人は態度もでかい(横柄ということではないですよ)。声がでかいからそういう性格になるのか、声の大きさは性格によって後天的に発達するものなのか、思わず調べたくなりますが、まあそれは本題ではありません。
私の声は決して大きくないと思います。例えば、ガヤガヤうるさい週末の飲み場で、店の人を呼びつけるとき、何故か私の声は届かない。どこかに逡巡の響きがあるのかもしれないけど、本人は一生懸命声をだしているつもり。「すいませーん」と何回言っても気付かれない空しさは、心当たりのある人も多いのでは。でも、一発で店中の人が振り向くような声を出せる人もいる。
地声の大きさは、やはり歌のうまさにとって有利だな、と感じます。
歌のうまいへたに、声の大きさは関係ない、という人もいるかもしれません。しかし、声の大きさは結局のところ表現のキャパシティが大きいことにつながるのです。うまい歌手というのは、相当大胆な音量による表現をしているはずです。
残念ながら、声が大きくても音楽的センスがなければ宝の持ち腐れで、そういう人を見るたびに複雑な心境になることもしばしば。

私は、そういう意味でソリスティックな歌いまわしは自分の世界でないと思い、合唱の中でのアンサンブルの一員として、どう歌うべきかを自分では常に考えてきました。
結果的には、ソルフェージュ重視で音の出をクリアにし、なるべく正しい音程とリズムでパートを先導しようという不遜な考えを持つにいたり、それに適合した声を自分なりに作ってしまっていたようです。
簡単に言ってしまえば、喉で声を作ってしまいやすく、また息の流れが弱いのに絞めて声を出すから、声が全く止まっている感じになってしまってあたかも機械音のような感じになっているらしいのです。いくらアンサンブル重視とは言え、やはり歌なのですから、これは美しくない。
もとより声の小ささをカバーするために、近場の鳴りに気をとられている感もあります。遠くに音が飛ぶような響きがかなり薄い。
しかし、これだけ冷静に分析しておきながら、じゃあどうしたらよいかというと、実はあんまりアイデアはありません。

ちょっと前にお話した、多重録音プロジェクトですが、実は数曲録音しています。
自分の声を録音すると、本当に聞くに堪えませんねえ。特に女声パートを歌う妻の声が入ると、あまりにみすぼらしい自分の声が悲しくなります。コンプレッサーをかけて音が良く聞こえるのは、実は歌がうまい人の場合だけだなと実感。

まあ、他の人も含めて、なかなか十数年合唱をやってきたその積み重ねは吹っ切れないわけで、少しずつ人の意見を聞きながら自分なりに方向を修正していくしかないのでしょうか。


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