もののけ姫【MOVIE】

原作・脚本・監督:宮崎駿

いわゆる流行ものであります。涙もろい私は、どうも泣かせの場面でウルウルしてしまっていけません。というわけで、しっかり泣かせの場面もある壮大な映画でした。
さて、泣かせの場面で感動したとはいえ、手放しでこの映画を賞賛する私ではありません(^^;)。この映画の持つ意味や、その芸術性など私なりに吟味してみようと思います。
まずは、なんといってもこの映画の持つテーマの深さ、重さです。自然と人間の関係、というテーマをかなり全面に押し出したため、この映画をみた誰にさえもしばらくはこういうことを考えさせるだけの力強さがありますし、ある種の社会派の作品とさえ言うことができるでしょう。もっといえば、社会への、あるいは一般大衆への作者の啓蒙活動なのかもしれません。しかし、そのテーマがあまりに直接的な形で表面に出ているために、今までの宮崎作品の持っていた幻想的な寓話性が薄れてしまったのではないか、と私は思っています。むろん、日本の中世?を舞台にしており、必ずしも現代的な背景の中で語られているわけではありません。もっともこういう舞台背景自体、宮崎氏の常套手段でしょう。しかし、すべての人物があまりに有機的に動きすぎているのです。私には森の幻想的なイメージさえ、非常に人工的に思えます。たとえば、森の動物たちは「しゃべり」ます。しかし、その内容は、全く人間的に理解可能なものであり、あるいは人間的な発想そのものであり、自然を象徴する動物たちの神秘性が一気に薄らぐのです。だからこそ、一言も発しない、白い小人やシシ神はとても良かったと思いましたが。そもそも、人間と動物が人間の持つような戦いの形式で対峙することが非常に不自然ですよね。
などと、偉そうに批判しましたが、非常に素晴らしいと思う点もたくさんあります。特に今回の映画が非常に実験的だったと思えるのが、まったく悪者の存在しない、従来の勧善懲悪を超えたところを目指しているという点です。これは宮崎氏にとっても大きな冒険だったのではないでしょうか。特に、戦いのシーンや、後半での盛り上がりにとって、悪役がいないということは、物語の組み立てにとって非常な重みを背負ったことと思います。しかし、それを無理なく表現しているし、また勧善懲悪を乗り越えたことにより、全ての登場人物が生き生きとし、それぞれの生を生きている躍動感があるのです。アシタカ少年はいささかなんでも出きるスーパーマン的な役割を与えられていますが、エボシ御前の人物描写は素晴らしいと思いました。また、集落の女たちの健気さとか。私には、宮崎氏が個人的に女性に求めているものというのがなんとなくわかるような気がするのです。
いずれにしろ、いま日本で最も有名な映画監督である宮崎氏の作品。今後ともテレビで何回でも観れるだろうし、日本を代表する映画として世界的に知られるべき作品でしょう。
音楽も相変らずの久石サウンドが安直でありながら、ツボを押さえていたと思います。何より、宮崎駿と久石譲ってもうイメージ的に切っても切れないんだよね。主題歌を歌う米良さんの声もそのスヂでは噂になっているようです。


コンタクト【MOVIE】

原作:カール・セーガン、監督:R・ゼメキス

いわゆるSF映画だと思って見にいったら、それはよい方向に裏切られたという感じでした。私のSF観として、未知なるものを我々が認知できるような形で表現してしまったら話が一気に安っぽくなってしまう、という考えを持っているのですが、今回の映画での地球外生命の描き方は、私にとっても十分納得できるものでした。「宇宙人の姿」はやっぱり出しちゃあいけないんだよね。その辺が、そこらへんの安物SFと一線を画しているその一端だと思います。ただ、相手の心を読んで、近づきやすい地球人の形で出現した「宇宙人」というコンセプトは、ちょっと「惑星ソラリス」のパクリという気もしましたが。
それから、この映画の面白さは、実際にコンタクトする終盤だけでなくて、そこに至るまでの政治的な過程をリアルに描いているというところにも現われています。この作品の主題は、自らの夢を追いかけて真っ直ぐに突き進んだ一人の技術者の物語だとも言えるでしょう。この辺りが、なんというか、実にアメリカンで、つまり信念をもって行動すれば必ず理解してくれる人は現われる、といった感じとか、あるいは露骨な勧善懲悪(映画では主人公をさんざん妨害した上司が結局事故死してしまう)とか、アメリカ的正義感、道徳感に満ち溢れているとも言えます。それはさておいても、結局主人公は自ら道を切り開いたわけで、その辺りの爽快感は誰が見ても感じるものでしょうね。例えば、彼女のコンタクト体験は政治的には幻覚として片付けられたかもしれないけど、結局多くの民衆は彼女が実際にコンタクトに成功したことを讚えたりしていて、「ああ、彼女は理解されてよかった」と映画を見ている人をほっとさせるのです。
批判もいくつか。まず、宗教と科学の対立が少々安っぽかった。主人公がいくら科学一筋とは言っても、神を全く否定することは、或る程度学のある人ならしないんじゃなかろうか。神というのはその存在を証明すべきものではないと私は思います。それが映画の中のロマンスと微妙に絡み合ううちに二律背反的な表現になってしまったように感じました。
あとはどうでもいいんだけど、日本の描き方は何とかして欲しい。ここまで来ると、アメリカ人一般の日本人のイメージからかけ離れて、ある種の悪意さえ感じてしまう。あそこまで細部のディテールにこだわるなら、つまらない日本の描き方はして欲しくなかったです、私としては。
SFというのは意外とB級的な映画のほうが面白いこともあるけど、久しぶりに正統派のSFで満足できた映画だと思いました。
ところで、映画中出てきたクリントン大統領は本物なのでしょうか?誰か知っている人、教えてください。


東大オタク学講座【BOOK】

岡田斗司夫著/講談社

この本の著者、岡田氏は知る人ぞ知るガイナックス社の設立者で、映画「オネアミスの翼」やパソコンゲーム「プリンセスメーカー」などを手がけた人です。現在ではガイナックス社を退社し、こんな怪しいゼミを東大で受け持っています。
ちなみに、こんな本を読んだからって、私はオタクじゃないですよ。いや、本当に^^;。別にオタクになりたくないと言っているわけでなくて、私には絶対オタクにはなれないと思っているのです。それだけの素養が無いというか...。基本的に私は常にクリエーターとしての立場でいろいろなことを吸収したい、と考えていますが、オタクというのは自分の得意分野に関して徹底的に収集し、研究するという態度、それ自体が目的なのです。それが一般から認められやすいものなら、学問として研究しつづけることもできましょうが、アニメ、ゲームその他のサブカル系にはまった人は現代のところオタクという名で括られるているに過ぎないということでしょう。合唱もこれに入ったりして、おーコワ。
で、この本ですが、前編が「光のオタク」と称し、アニメ、ゲーム、まんが、オカルトなど、比較的ポピュラーな分野を取り上げています。しかし、後編は「闇のオタク」と称し、かなりやばいオタクにスポットをあてます。ほとんどストーカーまがいのゴミ漁りオタク、日本核武装論、いわゆる変態(SM、スカトロなど)、などが題材に上がっています。しかし、これを東大で講義したんだからすごい。
まず、岡田氏自身がアニメーターであり、その筋のオタクですから、前半のアニメに関する話題は非常に面白かった。実際にアニメが制作されている現場、及びその筋の有名人などが披露されます。この人にしか描けない特殊なエフェクトとか、そういう話題です。
アニメに関しては、一つ面白いことが書かれてありました。今、日本のアニメは海外でも非常にメジャーになりつつあるわけですが、その理由の一つとして、手加減のないストーリーがポイントだといっています。たとえば、アメリカでアニメといったら敵と戦って、それで勝利してよかった、万歳、なんて作品しか作れず、それが結局子供向けにしかならない理由となっているようです。ところが、日本の場合、安保闘争に参加して就職できなかった人がポルノ映画やアニメ界にたくさん流れ込んで、子供向けアニメとかに政治とか人間とか陰鬱なテーマを盛り込むようになってしまったのです。こうして日本の「変な文化」としてのアニメはこうやって誕生したということです。
本全体はゲストとの対話で書かれており、何の苦もなく一気に読めてしまいます。また、つまらん本を一生懸命読んでしまった、と思いつつも、密かにサブカルチャー的、アングラ的なものに心惹かれる私でありました。


ラブレーの楽しい集い【CD】

Ensemble Crement Janequin
KKCC-311

ドミニク・ヴィス率いるアンサンブル・クレマン・ジャヌカン(以下ECJ)に私が興味を持ち始めたのは、実はつい最近のことです。というのも、今回来日するECJのコンサートのチケットを入手したからなのでした。このコンサートの話は後で書きますが、それに先立ち、たまたまゲットしたこのCD「ラブレーの楽しい集い」はECJの魅力を余すことなく伝えています。
しかし、それにもまして、私はあることについてここで話さずにはいられません。日本の発売元キングインターナショナルがこのCDに付けた日本語解説の中の歌詞訳ははっきりいってブッ飛んでます。確かに、この時期の世俗曲にはかなり卑猥な内容の歌詞がつけられています。そして、いくら古い音楽だからといって、オブラートに包んだ表現とか、高尚な言い回しで訳されても本当の歌詞のイメージは伝わってこないことは確かです。でもCDの歌詞訳で「マ○コ、マ○コ、おいしいヘソの下はいかが」なんて、ここまでやってくれれば画期的!(訳:細川哲士)この他にもブッ飛んだ個所はいくつかあり、すっかり私は恐れ入ってしまいました。これだけでこのCDを買う価値はあるかも。訳のあとにこう書いてあるのがちょっと笑えます。「原詩の意味を正確に伝えるという訳者の意志を尊重して、あえて全曲歪曲せずに表記しました(キングインターナショナル)」
上のことはさておき^^;、ECJのこのディスクの魅力とは、確かな音楽性はもちろんのこと、それに加わる音楽的エンターテインメントの面白さです。このエンターテインメントに音楽監督のドミニク・ヴィスの芸術感がすべて詰まっているような気がします。あるいは、かなり特殊とも言えるヴィスのカウンターテナーがそのままECJの持つ独特なエンターテインメントに直結している、と言えるかもしれません。
たとえば、ECJはシリアスな曲と、ユーモアたっぷりのオチャラケの曲との対比を全く見事にこなすのですが、それが見事なのはユーモアな部分での平たい狭いきつい音色の作り方を徹底させているからだと思います。ここにヴィスの絶対的な影響力があります。この他にも、ECJ独自の個性ある表現が随所に見ることができます。

さて、このECJのコンサートに初めて行ってまいりました。ここはCD紹介のコーナーだけど、プラスアルファでこのコンサートの様子もまとめてご紹介します。
最初は何しろびっくり。なんと、彼らは座って歌うのです。彼らの前には黒い布で覆われた大きな長方形の机が一つ。そこに楽譜を無造作においていて(しかも、楽譜はほとんど製本されずに紙をぴらぴらめくりながら歌う)、まるで何かの公開討論会でもしているような感じ。こんなところにも彼らの歌に対する姿勢がなんとなく垣間見えます。
最初に歌声を聞いた印象は、このサウンドはCDと同じということでした。座席のせいもあったかもしれませんけど(結構後ろだったし)。
エンターテインメントに関しては、実は思ったより派手ではなくて、狙ったようなウケ狙いはなく、個人のユーモアの資質に委ねたものだったと言えましょう。その点では若干肩透かしをくいましたが、聴衆にこびず好きな曲を自由に歌う、と言う雰囲気は伝わってきました。
メンバーはドミニク・ヴィスを除いてみな長身。おかげでよけいにヴィスは目立ちます。なんといってもヴィスの風貌は印象的ですねえ。無造作に伸ばされてひらひらした白髪交じりの髪、片方の耳だけにしたイヤリング、などなど。なかなかいい味出してますよ。
音楽に関しては、ヴィス以外のメンバーの完璧なハモリの上に、若干低めのピッチでヴィスの歌声が聞こえるのが、最初はおやと思ったんですが、きっとこれが彼らのサウンドのスタイルなんだろうと途中から思えるようになってきました。ヴィスの歌声はときに駄々っ子のように響き、非常に印象的なものでした。
上とは別のCDも会場で購入。しばらくはECJにはまる日々が続きそうです。


名もなき詩【BOOK】

雑派編/アスペクト

私は合唱曲の作曲のために、よく詩集を物色することがあります。結果的に使える詩は非常に少ないのですが、作曲に使わなくてもついつい面白くて買ってしまう詩集と言うのもあるのです。
これはそんな詩集の一つ。
この詩集はいったい何かと言うと、うーむ、一言では言えないのだなあ。それは宣伝のキャッチコピーであり、テレビ番組の巻頭言であり、いわゆる詩であり、遺書であり、インタビューであり、流行りうたであるのです。なんだかさっぱりわかりませんねえ。要するにそれぞれの時代に印象に残った言葉、文章がさまざまな角度から取り上げられ、一つにまとめられた本なのです。
説明するより、何が書いてあるのかを言ったほうが早そうです。面白そうなものをざっと挙げると、「ジェットストリーム(城達也の冒頭のナレーション)」「長嶋茂雄の現役引退挨拶」「円谷幸吉の遺書」「必殺仕事人W」「サスケ」「昭和31年経済白書」「檄(三島由紀夫の遺書)」「ガキが元気になる本(ビートたけし)」「木枯し紋次郎」。最近のねたなら、「THE END OF EVANGELION」「神戸新聞社へ(酒鬼薔薇聖斗)」「NIGHT HEAD」「有森裕子のインタビュー」「シンデレラエキスプレス(JR東海)」といったところか。
あとで時代を振り返るにも面白い一冊かもしれません。 久しぶりに長嶋茂雄の挨拶も読めたし(あれは私が小学校2年の時だったか、なぜか印象に残っているんです)、なんといっても私には円谷幸吉の遺書が壮絶で、涙なしには読めなかったです。円谷幸吉はマラソン選手でオリンピック前にあまりの重圧のために自殺してしまった人。この言葉、つらすぎます。ほんとに泣けてきます。(T_T)
そんなわけで、妙な本を買ってしまったと思いつつ、ここで紹介しているくらいだから実は結構気に入っているわけです。興味のある方は読んでみてください。


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