3.指揮法中級編


3月28日(木)13:00〜17:30
3月29日(金)13:00〜17:30
講師:大谷研二

1.序
この講座では、指揮の技術的なテクニックよりは、合唱団を効率よく指導していくにはどうしたらよいか、と言う点に主眼をおいて、課題曲に則りながら講義は進められた。また、希望者はどんどん前に立って指揮をするように、とのことで、最初はみんな気遅れしていたのだが、後半ではどんどん希望者があらわれ、その指揮の仕方などにチェックを入れてもらった。
受講者は、佐々先生の講座に比べると若干年配の方が減ったようである。その分、学指揮の比率が高まったようだ。また、指揮者に合わせて歌うために10数人の合唱団が後ろのほうに席を取った。この合唱団の陣容は、大谷先生の知り合いやコールクライネス(東工大?)の団員だったようである。もちろん、合唱団だけでなく受講者も合唱を一緒に歌った。
大谷先生の印象は、若々しくオシャレでハンサムなお兄さんという感じか。きっと、女性には人気があるに違いない。自分でもオジさんと呼ばれないために、涙ぐましい努力をしていることなどを話していた。それにしても、女子大生に対して文字通り手取り足取り指揮の指導している様は、ちょっと職権乱用だっ!と言いたくなったが。

2.合唱指揮に求められること
さて、まず合唱指揮に求められることは、というところから講義は始まった。オーケストラの指揮などとは違って、合唱指揮者に特に必要なことは何か、ということを受講者に発言してもらいながら話しは進められた。挙げられた項目のまず最初は語学力。もちろん、何ヵ国語もペラペラ話せる必要はないのだが、歌われる歌詞についての意味、発音など調べる必要がある。次には、声に対する知識。合唱に対して指導をするのだから、発声などに関してある程度の知識が必要である。しかし、これは必ずしも指揮者が声楽家のように歌えるということを意味しない。3つ目は、曲の知識、音楽史に対する知識。特に合唱音楽の守備範囲は広く、古くはグレゴリオ聖歌の時代から声楽作品は存在する。これらに対する歴史的背景や音楽様式の知識は、演奏に際してやはり必要なものであろう。

3.指揮の練習
次に、実際の指揮をする際の基本的なテクニックに簡単に触れた。まず、身体を十分に脱力させること。力んでしまうと、合唱団まで力み始めてしまう。脱力が十分にできたら、今度は腕の筋肉に急激に力を入れて、手を振り上げ、上まで行ったところで脱力し、自然な形で腕を落下させる。この運動を何回かさせられた。落ちるときは重力に任せて脱力させて落とすのがコツ。力が抜けていないと、妙に機械的に手が落ちてくる。その次は、手が落ちるとき、今度は真ん中ほどの位置で手を途中で止める。この止め方はダラダラと止めるのでなく、重力で落ちてきた腕が、瞬間でピシッと止る感じである。これが指揮の基本的な運動でこれをよく練習するとよい。
さて、合唱指揮において左手はどのように用いればよいか?右手と対称に拍を刻むだけではもったいない。右手は常時拍を刻むが、左手はそれと独立してディナーミクや各パートの入りや曲想などを表現したい。従って、右手と独立に左手を動かすような訓練が必要である。ここでは、1拍毎にずらしながら各パートの入りを指示する練習、それから2小節間クレシェンドして次の2小節間ディミニエンドするのを左手で表現する練習などを行った。

4.声の指示
発声の指導をするときは、おおまかに二つのアプローチがある。一つは感覚的な指示。ようするに、どのように声を出すかをイメージや比喩によって指示する方法である。もう一つは物理的な指示。具体的に腹筋や口の形、舌の位置などを指摘するやりかた。この二つの方法はうまく使い分けながらやるとよい。特に一つの合唱団を長い間育て上げるような場合は物理的な指示を多くしてやり、短期的な練習や子供の合唱団のときなどは感覚的な指示を多めにしてやるのがよい。
次にピッチに関して。ピッチが落ちたりするのは実は精神的な要素が多いものである。例えば、どんなときにピッチが落ちるかというと、同じ音が連続する場合や下降音形の場合、また狭い母音から広い母音に変化する場合など。これは現実にはしつこく注意して、反射的に同じ音ならピッチが下がらなくなるように無意識に演奏者が注意するようになるまで、洗脳させていくしかない。
また、合唱団の母音を揃える練習については、Uの母音を用いて練習するとよい。Uは音が揃いやすく、また頭声になりやすい。そこで音色が揃ってきたら、他の母音についても適用させていく。また鋭い音色でまとめるときはIの母音がよい。I では声帯が緊張するからである。ルネサンスモテットの練習の場合など、Uや Iでの母音唱で練習するとよいだろう。

5.純正律とピッチの話し
今回は特別に純正律の話をして欲しい、と合唱センターからの依頼があったとのことで、純正律と合唱の歌い方について簡単に触れた。といっても、私が期待したような物理学的な内容ではなく、もっと実戦に則した内容であった。
まず、どんな音にも倍音が存在し、純正のピッチで歌うとこの倍音がうまく重なるので美しく聞こえる。ただ、女声の高い音ほど倍音が複雑になり、純正に合わせにくくなる。 さて、純正調ではミの音が平均律より若干低くなる。従って、和音を美しく聞かせるためにはミの音を若干低く取らなければいけない。また同様なことがラ、シにも言える。ところで、この純正律との対比で「線的ピッチ」あるいは「情緒的ピッチ」という話題が出た。これはメロディをきれいに聞かせるためのピッチのことで、パブロカザルスによって初めて言われた。結局、ミ、ラ、シの三つの音に関して、純正<平均律<線的、の順にピッチが高くなるのだという。各パートがそれぞれの役割を認識して、ピッチを調整していくことが大事である。

さて、この後は実際の曲を使ってどのように指導していくべきかを講義していった。
6.O Jesu, fili David (Josquin Desprez)
この曲よく見ると(別によく見なくても)、ソプラノ、テナーが同じメロディでカノンになっている(ちなみにこの曲は S,T,B1,B2 の4声)。この二つのパートが歌う旋律をカンテゥスフィルムス(定旋律)というが、この下で二つのバスパートがいろいろな装飾的な動きをするという曲である。
また、この曲ではヴィオラダガンバ奏者が加わりバスパートをなぞってくれた(楽器がなぞるパートをコラパルテという)。この時代の曲は1、2、1、2とはっきり指揮はしない。拍はあるけど節がない、と言う表現をしていた。あるのは、言葉のアクセントであり、これを感じながら音楽を作っていく。また、ヴィオラダガンバの音を皆で聞いたあと、この楽器のなり方のイメージで歌って欲しいという話しをした。messa di voce というらしい。これは実際に聞いてもらわないとわからないが、カッチリと音符を全部鳴らすのでなく、ブォーンと一つ一つの音符にふくらみがある感じである。
また、この時代の音楽のディナーミクは、パートを増やしたり、音を高くすることによって作曲家が考えて曲を作っている。だから、音楽作りの中でことさらにディナーミクを指示する必要はない。
ここで、実際に指揮をした受講生に対して先生が言ったことをいくつか。
予備運動は必要最小限に。2拍の予備をするときは最初の1拍のとき左手を止めておくとよい。
練習中に曲を止めたときには注意事項をすぐに言うこと。逆に、振り始めるときは少し間をおいて(皆を集中させるため)。
ポリフォニーで同じ動きの旋律があるパートは、一緒に歌わせると効率のよい練習が出来る。
指揮者自らが歌いやすいフォームで指揮すること。口を緊張させて締めると、合唱団まで声が出なくなる。指揮者は発声を助けてやることが大事。

7.Stabat Mater 1,12 (G.B.Pergolesi)
ペルゴレージは26才にて世を去ってしまった夭折の天才である。この時代はバッハの晩年にあたり、前古典派、バロック後期、そしてモーツァルトへの準備がされた時代である。ペルゴレージは「奥様女中」等のオペラでも有名。
さて、講座ではこの曲の最初と最後の曲を練習に使った。歌手は合唱団からソプラノが一人、それからアルトを大谷先生が自らカウンターテナーとなって歌ってくれた。なお、大谷先生はこの曲を演奏会でカウンターテナーとして歌ったことがあるのだそうである。
なお、当時の音楽では歌詞の内容などを音符によって修辞学的に扱うことがよくされていた。例えばバッハのマタイ受難曲でもおなじみの「十字架音形」であるとか、高い音がスタッカートで降りてくる涙が落ちてくる様を現わす音形とか、8分音符の連続で歩みを現わす音形とか、ため息を現わす音形などなど。これらを十分理解して、音楽を作っていくことが大事である。また、1曲目では二つのパートが二度でぶつかりながら緊張感を増幅させている。不協和音はテンションが高いので音量も大きくなる。
また、歌のパートには多くの装飾音符があり、また楽譜になくても付ける場合があるので指揮者は装飾音符に関する統一見解を演奏者に提示しなければいけない。
この曲に関しても、何人かに指揮をしてもらいながら、個別にその人の問題点を指摘するような形で進められた。
かくいう私も、この曲の最後の「Amen」を振らせていただき、たくさんの指摘を頂いた。ありがたや、ありがたや。

8.Requiem-Introitus (Henk Badings)
この曲は完全な現代曲である。小節線がなく、そのかわりに五線譜の上に5秒毎に絶対時間が記されている。各パートの音符には旗がなく、太い横線で各音符が繋がれている。いったい、こんな曲どうやって振ったらいいんだ!と、始まる前は途方にくれていたが、うれしいことにこの曲に入ったのは講義終了の20分前。「誰かやってみたい人はいる ?」という先生の掛け声もむなしく、誰もやろうとはしない。結局先生が指名した人が一度指揮をした程度で終わってしまった。ただ、演奏自体は無茶苦茶難しいわけでもない。グリッサンドで半音にずれてぶつかる快感を堪能できた。合唱というジャンルはこんな不思議な音響でも吸収してしまうような懐の深さがある。
なお、絶対時間が書いてあるので、この曲の一つの演奏方法として、指揮者が片手にストップウォッチを持って演奏する、というのも一つの選択肢としてありうる、と言う話しもしていた。

9.感想
最初は緊張しながら受けていたこの講義も先生の人柄か、かなり後半ではリラックスしたムードが漂った。一つには学指揮になりたての方々が不慣れな指揮をしたことで、他の人に安心感を与えたことも一つの要因だろう(人のことは言えないが)。全体の時間の配分からいって古い音楽にかける時間が多かったため、音楽史的なアプローチも多く勉強になることも多かった。特にバロック、ルネサンス等の曲を扱う場合、時代背景や演奏様式などの知識も多く必要とされるが、それらに関してどのように対処すべきかの方法論を学ぶことが出来た。やはり、受講生の多さゆえ、一人にかかる時間が少なかったのが残念だが、それに関しては致し方のないところだろう。
大谷先生は、本当に合唱をこよなく愛され、いろいろな角度から科学的にアプローチする方法をよく知っている。今後もますます活躍していただきたいものである。


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