ドレミの話


私たちが音楽を楽しむときに避けて通れないのが「ドレミファソラシド」という音の名前です。逆にこの呼び名は万国共通で、音楽が世界の共通語ともいわれる所以ともなっていると思います。それにしても、この「ドレミファソラシド」というのは、いったい、いつ、誰がどのようなシチュエーションで生み出したものなのでしょうか?

このシラブル名を最初に考えた人は、11世紀前半に中部イタリアで活躍したグイド・ダレッツォであったと伝えられています。グイドが生まれたのは、西暦990年代であるということまでわかっています。
グイドは教会での聖歌隊長で、修道士として聖歌隊に歌を教えることが仕事でした。彼はまた非常にアイデアマンで、歌が歌えるようになるためにいろいろな方法を考え出したのです。そして歌を教えるのが上手い、というのが評判になり、彼のその名声はローマにまで達しました。一時は時の教皇に招かれてローマにも出向いています。

グイドが音楽史上に残した業績として三つのことが挙げられます。
一つは、音符の高低を表すために横の線を引いたこと。今では五線譜として当たり前のことにように感じていることなのですが、最初に横の線を引くということを思い付いたということにやっぱり価値があるのでしょうね。ちなみに、グイドが考えた横の線は2本。その2本はFとCを表す線でした。なぜ、FとCなのかというと、ダイアトニックスケール(普通の長音階)において、これらの下の音(HとE)との間隔が半音となります。従って、この部分の音階だけ半音である、という注意を喚起するという意味があったそうです。
二つ目は「グイドの手」と呼ばれる視唱法を考えたこと。手の各指の関節毎に音名を当てて、そこを指差すことによって歌を歌えるようにしました。もちろん、今なら楽譜の読み方がわかっていればそのような必要もないのでしょうが、なにぶん、楽譜の統一的な記法もなく、また読み書きもままならない当時の少年たちのことを考えれば、このような方法が一種のゲーム感覚になって、喜んで習得したことも想像に難くありません。
そして三つ目こそ「ドレミファソラシド」の発明です。もちろん、当時すでに「CDE..」というアルファベットでの音名はありましたから、このシラブル名は今でいう階名を表しました。またグイドが考えたのは「ウト、レ、ミ、ファ、ソ、ラ」までの6音分。今の「シ」がありません。これは、転調して読み替えることによって、これら6シラブルで足りるようにしたのです。(転調というのは現代的な言い方で、意味的にもちょっと違うことをご了承ください)
それにしても、これらのシラブル名は何から取られたのでしょうか?
この元になったのは、以下の賛歌の一節です。

Ut queant laxis
resonare fibris
Mira gestorum
famuli tuorum,
Solve polluti
labii reatum,
Sancte Ioannes.

のびのびと
胸いっぱいに響かせて
あなたの驚くべき偉業を
しもべたちが語れるように、
汚れたくちびるから
罪を取り除いて下さい。
聖なるヨハネよ。(金澤正剛訳)

この歌詞に付けられた旋律が、たまたま各音が「C、D、E、F..」というように音階的に上がっていたため、この賛歌の言葉の冒頭を取ったといわれています。つまり、"Ut, Re, Mi, Fa, So, La"となるわけです。
しかしこの呼び方が一般的になるにつれ、だんだんと7番目の音がないことに不自由す るようになりました。そこで誰が考えたか知らないですが、上の詩の最後の行の各言葉 の頭を取って"Si"と、7番目の音を呼ぶようになったのです。
さらに、最初の音の"Ut"がベルカント唱法では一番こもって音が前に出ない"u"の母音であるため、またこの音が非常に重要であるため、これを改め「ド」と歌うことになりました。この「ド」はどこから出てきたかは定かではありませんが、宗教曲に良く出てくる "Dominus" であると言われています。
これでようやく今日の「ドレミファソラシド」の形になるわけです。
ちなみにフランスでは、昔のまま、「ド」を「ユト」と呼んでいます。(「ウト」をフランス人が発音すると「ユト」となる)
こうやって考えてみると、たかだか「ドレミファソラシド」にも長い歴史のあることがわかりますね。音楽の様々な取り決めや仕組みも、このように過去のものをだんだんと改良することによって出来ていると考えると、とても興味深く感じます。

ちなみにこの話、金澤正剛著「古楽のすすめ」よりほとんど抜粋させていただきました


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