未来の合唱コンクール


会場内は異様な緊張感に包まれていた。
今年の全日本合唱連合コンクール全国大会は各地から多くの強豪を向かえ、合唱界のみならず、広く世間の注目の的となっている。各界を代表する音楽、文化関係者が会場内にも散見された。それにしてもここ数年の合唱熱の高まりには驚くものがある。底辺の拡大によって、トップレベルの質は瞬く間に上昇した。近年の全国大会での数々の名演奏は世界的な注目を集め、またそこで披露される声楽テクニックは年々高度になっているのである。
私たちの出番は、あと1つと迫っていた。我々は舞台袖で、携帯声帯保護マスク(注:通常のマスクのような形だが、適度な温度、湿度を供給し声帯を保護するために用いる)を各自取り付け、現在出演中の団体の演奏を聞いているところであった。もちろん、楽譜を広げ、最終チェックに余念がない団員もたくさんいる。我々の指揮者は、いま演奏している団体を気にしながらも、指の動きや腰の動きを厳しくチェックしている。
舞台上では演奏が始まった。演奏曲は近年急速に人気が高まった若手現代音楽作曲家の作品である。もちろん、この曲は合唱コンクールで歌われることを最大限に意識された作品で、そのなかで要求される声楽テクニックは恐ろしく難しいものである。

早速、この曲の第一の関門が訪れた。各パートともに、ほぼ5小節の間1オクターブ以上の跳躍が続くという箇所である。各パートの音は跳躍しているものの、縦の和声は非常に魅力的で、幻想的かつ斬新な和声が響く部分である。私も、思わず耳を立ててこの部分に注目していたが、舞台上の団体はこの部分を難無くこなした。そののち一瞬わずかながら会場がどよめくのがわかった。
演奏はこの成功に気をよくしたのか、声の張りが出てきて若干勢いが増している。非常に良い調子だ。舞台袖で聞いている私も非常に複雑な気持ちでこの演奏を聞いていた。
次の関門が訪れる。男声パートがほとんどソプラノと同じくらいの音域で32分音符のメリスマを歌う箇所である。ファルセットであるのはもちろんだが、この音域を女声が歌わないことに意味がある。男性的な力強さが要求されるのである。
ちょっと前のことだが、この曲を演奏するのに、本物のカストラート(注:男性を変声期前に去勢することによって、女声並みの音域を持たせた歌手)が用いられた、という噂が全国的に広がったことがあった。渦中の合唱団はその疑いを否定しが、あの団体ならやりかねない、というのが合唱関係者での定説である。
そののち、同様な箇所を持つ合唱曲が増え始め、男声に対する高度なファルセット技術が要求されはじめるようになった。ついにはホルモン注射を続けることにより女声並みの音域を持たせる方法が全国的に広まることになった。無論、芸術のためとはいえ、身体に何らかの薬物を投与することは決して良いことではない。事態を重く見た全日本合唱連合は、このような薬物投与をやめるキャンペーンを張り、その一環として合唱コンクールで本番前にドーピング検査が義務づけられるようになったのは3年ほど前のことである。
さて演奏のほうだが、音楽に若干力強さが足りないものの、技術的には無難にこの箇所をクリアした。我々の中でも「ちぇっ、技術点狙いか」といった舌打ちが聞こえる。
それから、演奏は幾多の関門をクリア。私から見ると、音楽のダイナミズムを若干犠牲にしているようにも見えたが、それにもまして、常人には考えられないようなテクニックをこなしていくこの団体の力は全く恐るべきものである。演奏は、全く一糸乱れぬハーモニーのまま、空調の音とほとんど同じくらいのレベルまで消え入るスモルツァンドで終了した。
そして、指揮者が棒を降ろした後、おおきなどよめきが、そしてそのあと大きな拍手が鳴り響く。そして聴衆の目は、協和測定メーター(注:声楽曲の演奏の協和度を判定するメーター。ヤマバ楽器によって最初に開発された。マイナスの値で表示され0に近いほど協和度が高い。)に注がれはじめた。
現在、コンクールの得点には芸術点と技術点の合計によって競われているが、この協和測定メーターの値は技術点に大きな影響を及ぼす。特に技術点のように絶対的な評価が必要な場合にはなくてはならない測定装置であり、今では合唱音楽の発展に必要不可欠なものとさえ言えるだろう。
さて、拍手が鳴り止みそうになったとき、この演奏の協和度がメーターに表示された。
《−26.5》
また、会場全体がどよめいた。近年の難易度の高い合唱曲で−30を超えることは至難の技である。従って、この値は技術点に大きな影響を及ぼすに違いない。

そして、ついに我々の出番である。
私たちが歌う曲はモンテヴェルディのマドリガーレである。技術全盛の今にあって、こういった古楽曲が全国大会で歌われることはまれになったが、高い協和度を出せることもあり、まだまだ若干歌い継がれている。また、極端な音楽的解釈で非常に高い芸術点を稼ぐことがまれにあるので、技術指向を嫌う指導者にこの初期バロックの世俗曲にはまだ根強い人気があるのだ。
そして、何より私たちの演奏には大きな秘密兵器があったのだった。
我々は、声帯保護マスクをはずし、舞台に向かった。
そして演奏は指揮者のタクトによって静かに始められた。


気がついたら満場の拍手の前に私たちは立っていた。
演奏は万全の出来だったはずだ。
会場の拍手も、我々の演奏が平均を超えるものだったことを物語っている。
そしてメーターに協和度が表示された。
《−15.2》
表示と同時にまた拍手が鳴り響く。どのような単純な曲でもここまでの協和度を示すことは一般の合唱団には難しいとされている。しかし今日の大会では、他団体によってすでに《−11.5》が記録されていた。
表示されるのとほぼ同時に、私たちの指揮者から物言いがついた。
測定を機械に頼ることになってから、毎年若干の物言いがつく。物言いがあった場合は、もう一度再計算されることになっており、たいていは最初の表示とほとんど同じになることから、指揮者の器量の無さだけが目立つことが多い。
しかし、実は私たちの物言いは全て計算ずみの行動なのであった。
物言いを告げられた大会役員の顔が一瞬こわばっているのが感じられた。そして、その役員は再計算の指示のために技術者ルームに向かった。

しばらくして、役員は多少慌てた調子でマイクを握った。
「ただいまの演奏団体より物言いが付きまして、この団体の指示により、新たにミーントーンにて再計算された結果を表示いたします」
《−9.8》
この瞬間、会場全体は大きな興奮の渦に包み込まれた。女性の悲鳴さえ聞こえた。何人かは立ち上がり、驚きの表情のまま声すら発することが出来ない状態である。
ミーントーンによる協和度の測定、これこそが全く新しい見地から技術点を叩き出す我々の秘密兵器だったのである。しかも、我々はついに協和度において夢の一桁台を達成することが出来たのだ!
そして私は、本当にこれまで合唱をやっていて良かった、と一人心の中で叫んだのである。


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