幻想奇談 -初夏の幻影-


私がとある公園でその女性と出会ったのは、昼下がりといっても人気が少ないある平日の昼下がりのことだった。その公園は街の郊外に位置していて、かなり広大な土地に樹木や池が広がる、いわゆる森林公園のようなものだ。私は特に目的もなく、ただぶらぶら歩いているだけだったし、その女性と同じようなコースで歩いているものだから、何度も出会ってかえってばつが悪かったので、思い切って声をかけてみたのである。
女性は淡色の薄手のブラウスと、ロングスカート、そして麦藁帽子をかぶっていて清楚なイメージを感じさせた。最初のうちは初夏の眩しい光で気付かなかったが、彼女は多分20代前半ほどの年齢で、しかもその面長で色白なその顔は美人というのに十分だった。私たちの会話も何故か面白いほどテンポが良くて、知らないうちに私は彼女に淡い好意を感じていたのである。
最初は、ありきたりな時候の話だったと思う。それから、公園の回りの木や池の様子を話したり、それにまつわるおとぎ話とかそんな話もした。不思議に、お互いの身分を明かすようなそんな話にはならなかった。私は、白昼の夢のような体験に現実の世界を感じたくなかったから、あえてそういう話題に触れないようにもしていたのだろう。
気が付いたら、2時間ほどの時間が経っていた。
ふと、数分会話が途切れた。それまで、会話に夢中で話すことなどいくらでもあるように思ったのに、そのとき急に話題がなくなった感じがした。私は少し慌てていたが、そういえばまだ、名前も聞いていないことに気付いた。
「あの、ところでお名前は?」
彼女は、しばらく私の問いに答えなかった。
私は名前を聞いたことを少し後悔した。現実の世界に彼女を引き戻してしまった気がしたからだ。しかし、彼女は急にこんなことを言ったのである。淡々に、しかししっかりした口調で。
「私、多分あと一月ほどしたら死ぬんです。」
その唐突な内容に、私はしばらく言葉を失った。
それに対する返事が私には全く思いつかなかった。あまりに平然とそういう彼女の言葉は、私にはかなり悪趣味の冗談とさえ聞こえたのだ。私が長い間返事をしなかったので、彼女は私がそれなりに深刻な事態を想定している、と思ったのかもしれない。実際のところ真意を図りかねる彼女の言葉に、結局私は何か言うことを止めてしまった。
しかし、私はこのまま別れることを惜しく感じたので、また来週の同じ時間にここで会いたいと彼女に告げた。彼女はそんな私に対してただ微笑みを返すのみだった。

一週間後、彼女はその公園に現れた。
私は彼女の言葉がちょっとした私に対するからかいであると、この一週間の間に自分に言い聞かせていた。だから、もうきっと彼女は公園には現れないだろうと思っていたのだ。だから、最初に彼女の姿を見たときは驚いたし、もし彼女の言うことが本当で、しかも病気をおして無理してやってきたのだったら、とかえって罪悪感さえ感じてしまった。
しかし、彼女は全く元気そうだった。しかも先週と同じようにしばらくは楽しく会話が弾んだ。ただ、彼女の声色が先週話したときの記憶より若干低く、しかも随分落ち着いたような感じを受けた。
この日も、随分暑い日で、彼女は麦藁帽子をかなり深くかぶっていた。私たちはしばらくは並びながら歩いていたから、会ってから1時間ほどは私は彼女の顔をしっかり見ていなかったのだ。
ふとした突風で、彼女の麦藁帽子は宙に舞った。私は慌てて駆けて、彼女の麦藁帽子を拾い戻ってきたとき、私は思わず、えっ、と声を発してしまったのだ。
ほんのわずかな瞬間だったが、先週会ったときの彼女の顔の瑞々しさが感じられないことにすぐに気付いた。そればかりか、目尻には若干のしわがあって、それを隠すように厚めの化粧をしているのがわかった。もちろん、それが先週会った彼女であることは自明ではあったのだが、目の前にいる彼女は、もう子供がいてもおかしくない、まるでもう30代後半の主婦のように見えたのだ。
私はしばらく自分の狼狽ぶりを悟られまいと、躍起になって話していたように思う。しかし何か面白いことを言おうと思えば思うほど会話は空回りした。しかし彼女のほうはそんな私の慌てぶりを逆に楽しんでいるようにさえみえた。
しばらくして私の帰宅の時間になった。私には今後も彼女を誘わなければいけない義務感のようなものが生まれていた。それはどうしてか、といわれてもよくわからない。少なくとも彼女には特殊な事情があるのだ。そして、私は全てを知らないまでも、彼女の秘密の部分を見てしまった、そんな彼女に対する負い目を感じていたのは事実である。もし、彼女の病気が治ったら、またあの瑞々しい若さが彼女に戻ってくるのではないか、そんな淡い期待があったのかもしれない。
「また、会えますか?」
「私は毎週この時間にここにいますわ。」
「いや、2週間ほどこの曜日にここに来るのは、無理なんです。他の日は出られないんですか?ここでなくてもいいですし。」
「ごめんなさい。この曜日にここでないと・・・。こんなふうに誘っていただけるのは本当はとても嬉しいのです。でも・・・」
そのあと、またしばしの沈黙が流れた。
私はふいにこんなふうに彼女を誘っていることが、たまらなく恥ずかしいことのように感じた。私たちは、いや私は、彼女との白昼夢を楽しんでいればよいだけではなかったのか?彼女が現実世界に近い存在になればなるほど、私にとって彼女が彼女である理由がなくなるのではなかろうか。
私は仕方なく、これ以上彼女を誘うのを止めた。そして、3週間後にまたこの公園で会うことを約束した。彼女は黙って頷いてくれたが、その顔はたまらなく悲しそうにしているように私には感じられた。

薄情のようであるが、3週間の間、それほど彼女のことを思い出さなかった。仕事に追われていることもあったが、思い出そうとすると最初に会ったときの姿にそのあとに会った姿が重なってしまうのだ。それが自然のうちにつらく感じてしまったのであろうか。
それでも心のどこかで、彼女のことは想っていて、約束の日の2、3日前からどこか落着かない気分になっていた。
そして、3週間後のその曜日、私は緊張した面持ちで公園に向かった。

しばらく彼女は現れなかった。
少なくとも私はそう思っていた。
公園には2組のカップルと、子どもを連れた家族、そして3人の老女。そのうちの一人の老女が私を見つめている。そしてその老女は、見覚えのある麦藁帽子をかぶっていた。
しばらくの間、時が止まった・・・・
私たちはどちらともなく歩み寄った。
4週間前の彼女の面影が、その深い皺に刻まれた彼女の顔からうかがうことが出来た。
最初に口を開いたのは私の方だった。
「お久しぶりです。」


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