男と女の理論


私が大学時代開発した「男と女の理論」というのがある。今でもその基本的な考え方は変わっていないので、ここで紹介することにしよう。
世の中の文化、時代、特定の地方などの特色を示すのに、男性的、女性的という二元的な分類が可能であるというのが大まかな概要である。二元的といっても、完全な二者択一とかではなくて、両端を男性、女性とする数直線上に配置することによってその度合いが表現されるべきものである。
それでは、男性的なもの、女性的なものが具体的に何を暗示するものなのかを以下に示そう。
男性の意味するもの:禁欲、論理、戦争、哲学、物事の内面に価値を見出す
女性の意味するもの:頽廃、感情、平安、芸術、物事の外面に価値を見出す
上は、男性がそうだとか、女性がそうだとかではなくて、男性性、女性性の象徴だと考えて欲しい。極めて女性的な男性もいるし、男性的な女性もいるはずだから。また、女性性の象徴の項目を見て、多くの女性が反発することも予想される。だが、女性が一般的に受動的で貞淑に思えるのは、女性の本性が情欲的なことの裏返しだと私は考えている。^^;

上の理論を応用してみよう。
まずは国別に考えてみる。日本は「女性的」である。ヨーロッパでは、イギリス、ドイツなどが「男性的」で、フランス、イタリアなどのラテン系は「女性的」と考えられる。アメリカは難しい。あまりにもいろいろなことが混沌として存在している。総体的に見ればどちらともとれない「中性的」(数直線の真ん中)であろうか。同じアジアでも、中国は「男性的」だと思う。
時代で言えばどうなるだろう。日本の場合を考えると、平安時代とか、江戸時代とか、大きな戦乱がなかった時代はおおむね「女性」の時代であったと思う。ただし、この場合この理論が適用される人々の階級がかなり制限されるであろう(貴族とか、商人とか)。もちろん、源平の時代、南北朝時代、戦国時代は「男性」の時代。また、近代で言えば大正が「女性」で、昭和になってから高度成長期にかけて「男性」。そして、ここ20年 くらいは極めて「女性」的な時代となっている。
というわけで、現代の日本は元々「女性」的であるのに、さらに時代が「女性」的であるために、極めて女性的な特質を備えた社会状況になっていると思う。たとえば、世界のどの地域にも優るくらい一般人がファッショナブルだし、文化的にも極めて爛熟している。倫理的な規範がかなり薄れているのも現代日本の特徴。こと時代に関しては、「男性」と「女性」が長期間持続することはない。周期的に変化すると考えられる。私は近いうちに、現代の日本の「女性」の時代から大きなゆり戻しが起こると思っている。しかし、残念ながらそのきっかけとなるものがあまり見えて来ないのである。


inserted by FC2 system