2048年5月16日のひととき


...ん、どうやら、うとうとしてしまったらしい。
春の心地好い風と暖かい日差しがつい気持ちいい気分にさせたのだろう。こうやって、陽のあたる屋外でゆっくりするのは、極上の幸せというものである。おまけに、今日はいつになく下半身の元気がよい。久しぶりにいい曲が書けそうである。
 私は、もうすっかり老いぼれているが、こう見えても作曲家のはしくれである。一時はかなりの名声を得たときもあった。数々の合唱曲、オペラ、管弦楽曲を作曲した。そのときの蓄えで、現在では十分な財産も持っている。しかし、あるころか自分を創作活動に突き動かしていた衝動みたいなものが段々に萎えてきたことを感じ始めた。必然的に作曲の量は減るようになった。最近、巷では、私はボケてしまってもう曲を書ける状態ではない、とまで言われている。まあ、言いたい奴には言わせておけばいい。それでも、私が世の中から忘れ去られつつあることは間違いないことだろう。
「先生、お茶にしませんか〜?」
家の中から、女の声が聞こえる。この家には私のほかに自ら弟子といいながら私の財産を食い潰しているだけの居候と、その男が連れてきたどこの馬の骨とも知らぬ女が住みついている。男が昼間どこで何をしているか私は知らない。だが、女は昼間はたいてい家の中にいる。頭は悪そうだが私に対してはいやにやさしくて(それが極めて打算的なものであったとしても)結構かわいげがあるのだ。特に迷惑でもないし、若い女が身近にいるのも悪くはない。この間も、ちょっとボケたふりをして、この女のお尻にちょっと触ったことがある。そんなときも彼女は悪びれずに
「もう、先生ったら、オ・チャ・メ」
などと言ってくれたりする。そんなとき、私はちょっぴりうれしい。
 そういえばつい数週間前、ある音楽情報誌のインタビューと称して、女性の記者が私のところを尋ねたことがあった。彼女の質問には、すでに世に忘れ去られようとしている私への多少の憐れみとあからさまな蔑みの気持ちが、言葉の端々から手に取るように感じられた。私はそんなときにもストレートに不満を表現したりしない。そのときも相手の質問をさんざんはぐらかしたうえ、なかなかのグラマーな女だったのでボケたふりをして、若干のいかがわしい言葉と共に彼女の胸を思いきり鷲掴みしたのである。
「このー、エロジジイィ!」
その瞬間、彼女はそれまでのおしとやかな態度を急変させて、私も驚くような罵声を浴びせた。そのあと、インタビューがされなかったのは言うまでもない。彼女はすぐに怒って帰ってしまったのである。その間も私は終始無頓着な表情なまま、ボケ老人を演出していた。それにしても、あのインタビューの内容は果たして雑誌に掲載されるのだろうか?私としてはあったこと全て書いてくれることを願っているのだが。

とりあえずお茶にしようという女の呼びかけを無視して、せっかくの作曲の衝動を育ててみることにした。まず、どんな曲を書くかである。出来るだけ派手なのがよい。とくれば、管弦楽曲、しかも4管編成くらいか。できれば、合唱も入れたいが、詩のネタを探すのが面倒臭い。今の私には訴えたい何物もないし、できればラヴェルのようなアイロニーに富んだ音楽を作ってみたい。パロディ、そうパロディである。音楽史そのものをパロディにしてしまったようなそんな大曲がいいかもしれない。
...交響曲。ふと、そんな言葉が脳裏をよぎった。81才にして第一交響曲を書くなんてシャレてるじゃないか。早速構想に取り掛かる。
第一楽章。もちろんソナタ形式。ベートーヴェンが近代交響曲を完成させたのなら、そこから始めるのも悪くない。第一主題はズバリ第九の歓喜のテーマである。観客は、ん、何事だ、といぶかしく思うだろう。そうなれば私の狙い通りだ。第二主題は...そうだねえ、十二音技法の音列でも使うか。10年ほど前に「寝る子も醒ますゲンダイ音楽」という曲を構想したことがある。そのときに用意した音列を使おう。展開部は適当にドッペルフーガでもしておいて、再現部は、ちょっとヒネリを入れて、歓喜のテーマを短調にして使おうか。ひゃっひゃっ、こりゃ面白い。コーダは、うーん、面倒臭いなあ。最後にダ・カーポとでも書いておくか。この楽章を終えるには、コンマスと指揮者がジャンケンをしてコンマスが連続3回勝つこと、と楽譜に記入する。
第二楽章。テーマは「日本」にしよう。前世紀に日本に西洋音楽が輸入されて以来、日本の作曲家は絶えず日本の独自の音楽と西洋音楽との狭間で悩んできた。作曲家は、敢然とそれに立ち向かい日本的なもの、あるいはアジア的なものをテーマに作品を書いた者もいたし、それを超越しようとして世界市民的なユニバーサルな立場で曲を作ろうとする者もいた。私ならば、うーん、うーん、うーん、うーーうぉんてっど!ちゃらら、ちゃらっら。ちゃらら、ちゃらっら...ピンクレディー。おー、なつかしい。決まった。第二楽章はピンクレディーメドレーである。約70年前に日本において一世を風靡したナツメロ。私のような年寄りは涙を流して喜ぶだろう。これぞ、日本の心である。ミーとケーはまだ生きているのだろうか?
第三楽章。緩徐楽章。...宇宙の神秘、神の声。荘厳にして誰一人到達しえる者がいない音響世界。そんな究極の音楽とは静寂ではなかろうか。静寂に耳を澄まし、その中に今まで誰も作りえなかった完全な音楽を聞く。さて、この静寂に観客が耐えられる時間はどのくらいだろうか?4分33秒?それでは誰かの真似になるので、とりあえず4分34秒にしておこう。これでギネスブックには載るだろうか。完全な静寂を実現するために、演奏者はこの間一切物音を立ててはいけないし、呼吸もしてはならない。究極の美は死と隣り合わせなのである。
第四楽章。楽団員は一斉に起立する。指揮者はあらかじめクジをもっており、このクジを引いて楽団員は全部で10のグループに分れる。それぞれのグループはひとまとなりになって舞台上から降り、演奏をしながら客席を歩き回る。それならば、観客が自由に演奏に参加できる、というのも良いかもしれない。では、こうしよう。楽団員が引いたクジからは、一つのグループにつき一つの言葉が与えられる。各グループは観客の中からそれを探し出し、一緒に連れてきて、できるだけ早く舞台上に戻らなければいけない。しかも、その間、演奏は絶えず続けられるのである。楽団員は血眼になって、客席の中を走り回る、しかも演奏しながら。おお、かつて、これほどまでにオーケストラが一つの目標に向かって努力したことがあっただろうか?....それから、それから....それから....それから....

...ん、どうやら、うとうとしてしまったらしい。
春の心地好い風と暖かい日差しがつい気持ちいい気分にさせたのだろう。こうやって、陽のあたる屋外でゆっくりするのは、極上の幸せというものである。おまけに、今日はいつになく下半身の元気がよい。久しぶりにいい曲が書けそうである。


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