ポピュラーアカペラをどう歌うか(00/11/5)


正直言って真面目にやったこともない私がポピュラーアカペラをどう歌うか、などと題して書くのはおこがましいのですが、先日のトライトーンを聞いて思ったことを書いてみます。
こういったジャズフレイバーの曲を歌うとき、まず大事なのはしっかりハモることです。これが最初にして最大の難関なのではないでしょうか。近年の合唱曲では、わりとポピュラー的な(ジャズ的な)和音が多用されることも多く、なかなか合唱団員が音の取れないことが多いのです。音取りに関しては以前にも書いたわけですが、はっきり言ってこの程度の和音感では一人一パートのジャズコーラスなど夢のまた夢です。
私は密かに思っているのですが、こと音楽理論に関してはクラシックをやっている人よりポピュラーをやっている人のほうがよほど良く知っていると感じています。一つにはクラシックの音楽理論というのが学問として一つの大きな権威になってしまい「わからなくて難しいものだ」、という固定観念を植え付けられている、ということがあるでしょう。ところが、ポピュラーをやる人は、理論よりまず人前で自分を表現したいという欲求があって、例えばでたらめながらも自分でギターでも使って作曲をしているうちに「この感じいいねぇ」って感じで肌で覚えていくのだと思います。
一度、和音感覚を身につければ、その和音を何と呼ぶかなんてことはどうでもよくて、あとでかしこまった名前なんか聞いて「そんな立派なもんじゃないよなー」なんて違和感を感じるに違いありませんが、それでも学校で勉強する和声学と同程度のことはなんとなく理解しているものです。

トライトーンのメンバーは誰もがアレンジ出来る能力を持っています。そして、それは音大で習うようなかしこまったものでなく、好きで好きで知らないうちに肌で覚えた感覚なのだと思います。
そしてあの見事なハモリは、まさにその一人一人がアレンジできる能力から来ているのだと私は思います。
もちろん、作曲、アレンジにはアイデアとかオリジナリティとか、そういった評価基準もあると思いますが、最低どのような和音をどのように連結するかくらいの知識は持たざるを得ません。それは、自分の歌っているパートの音が全体の中でどういった和声的位置を占めるか誰もが判断できる能力を持っているということにつながるわけです。
例えば、maj7 は根音ドに対してシの音を出します。この場合何にもまして大事なのは、ドとシの半音の距離であり、双方が「私は根音」「私はmaj7の音」と認識し、その和音をイメージしつつ音を出さなければ永遠にハモりません。ハモリはナマモノだから、音がわからないからといってピアノに頼っても、全体のハーモニーを乱すだけです。これはレベルの問題ではなく、ハーモニーを追求するなら絶対音を出す楽器を頼ることよりも、今そこで鳴っているハーモニーを聞き取る力のほうがよほど大事なのです。

彼らがアンコールでマイクなしで歌ったとき、かなり音量が小さいんだなと思いました。
無理に声量を出す必要がないからこそ、ハーモニーを聞き取る余裕が生まれてくるのかもしれません。そう思うと、ポピュラーなアカペラをやるのに大事なのは発声よりもまず和音感(とリズム感)じゃないか、とそんな気がしています。


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