関東大会で聞く「光る砂漠」(00/10/9)


今年も某職場団体にて宇都宮で行われた合唱コンクール関東大会に参加してきました。結果は参加賞でした^^;。
職場の部は朝一でしかも我々の出番が一番だったので、演奏は午前10時過ぎには終了。演奏終了後は、一般の部の演奏をずっと聞いていました。(ただし、早朝特訓のため極度に眠く、1/3くらいの団体の演奏で睡眠していたはず)
今回は、たまたまネットの掲示板関係で知り合った方々とお会い出来たりして、まあ自分の演奏のほうはともかく、なかなか楽しいひとときを過ごせたと思っています。
今年の演奏の印象としては、実力差が如実にわかってしまうAグループと、選曲や雰囲気で差がついてしまったBグループという感じ。Aグループでのマルベリーチェンバークワイアの実力は圧倒的で、お願いだからコンクールに出て素人をイジメないでください、と思わず言いたくなってしまいます。全体の選曲の方向性は思っていたより分散されていて、ルネサンス、ロマン、現代、邦人ピア伴、邦人アカペラとほぼいろんな曲が出揃っていました。聞くほうはいろいろ楽しめたけど、審査するほうは大変だったに違いありません。

さて、以前より関東大会で聞いていて密かにファンだった団体の一つが川越牧声会なのですが、今年は私の大好きな、というか合唱生活の原点でもある曲「光る砂漠」を演奏していました(他にももう一団体が演奏)。全体的に速めでピアノのルバートの感じがちょっと私のイメージとは違っていたものの、丁寧な日本語と、厚みのある音色で、久しぶりに「砂漠」の良い演奏を聞かせてもらいました。この曲もすでに邦人作品の中でも古典の領域に入り、演奏機会が減っているようにも感じられますが、これからも何度も演奏されるべき曲であると私は思っています。

さて、この「砂漠」の演奏については、この組曲の詩人、矢澤宰の理解なくしては語れません。
もちろん、詩人の個人的な事情まで知らないことにはその詩の良さがわからないということであれば、その詩は自立的に鑑賞されることが出来ないということになってしまいます。それでもなお、私はこの曲を歌うに際してこの事情を知って欲しいと思うのです。
矢澤宰は二十歳そこそこで死んでしまった夭折の詩人であり、その生涯のほとんどを病院で過ごしました。
多感な少年期を病院で過ごしたことは、もちろん彼にとって悲しいことであったのですが、その孤独で純粋な精神世界を膨らませることに大きな影響があったはずです。矢澤宰の詩には常に少年期の淡くてはかない恋心が通奏低音のように響いています。だから、一見恋の詩とは関係ないように見えても「ふたつの」「あなたは」などの言葉にはもっと敏感に反応して読まなければいけないように感じます。そうして、そういう目で読んでいくと何とも感傷的な彼の恋心が見え隠れするような気がするのです。
詩集ならびに組曲の表題作である「光る砂漠」という詩が、この楽譜の最初のページに書かれています。
「光る砂漠
影をだいて
少年は魚をつる

青い目
ふるえる指先
少年は早く
魚をつりたい」

もちろん、この少年とは自分自身のことでしょう。彼が病院で日々、悶々と思い悩み、自分が健康であったらこんなことをやりたい、といろいろ考える、そういった自分の願いを望むことは、まるで「砂漠で魚を釣ろうとしている」ような行為なのだ、と言っているわけです(と私は思います)。
そういった絶望的な状況を自分で意識しながら、それでも「早く魚をつりたい」と思う、その気持ちが悲しく私たちの心をうちます。矢澤宰の詩は直接的な表現よりもそういったメタファーを読み解くことが意味的に必要であり、一見オブラートに包まれたような表現がその詩の日本語としての美しさを際立たせているような気がするのです。
萩原英彦のこの曲の作曲は、大学生だった私にも多いに影響を与えました。すごく前衛的な感じなのに、響きはきれいなのがまるで私には魔法のように感じられたのです。極端にピアニスティックなこの曲は今の私の方向性とはかなり違うものの、時には私の原点を振り帰るために聞いてみたくなるのです。


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