強い者は嫌われる?(00/7/9)


日本とアメリカの文化の違いでふとこんなことを考えました。
アメリカというのはアメリカンドリームなどといって極貧から大スターにのし上がるような出世物語が礼賛される一方で、強くなりすぎて傲慢になっていくものを嫌うような傾向があります。それに比べると、日本人は強いものに盲目的に従おうとする傾向が強いのです。
最近ではマイクロソフトの分社命令などがありますね。ここまで急成長しPCの世界で支配的になってしまうと、半ば強引にその力を削ごうとするのです。政府が一企業の分社命令を出すなど一見とんでもないようにも思いますが、この決定自体は多くの人たちの賛同があるからこそ成り立っているわけです。
実際のところ、技術関係の人であれば、マイクロソフト製品のある種の傲慢さに閉口している人も多いと思います。それを他の企業が実力で負かすことができないと、政府の力を借りてまで追い落とそうとするのです。技術者としての正当な希望としては、力のあるものから無理やり力を削ぐより、どこか新しいところがマイクロソフトを凌ぐ製品を出すことを願ってはいるのですが、残念ながらまだそういった製品は見つかってないのが現状。その急先鋒はリナックスなのでしょうが、元の文化がUNIXなので、初心者には少々使いづらいと思います。おっと話が逸れました。

それはさておき、日本はどうか。
私の見るところ、どうも日本人は逆に力のあるものに近づき、その勢力下に入ることで、自身の安泰を図ろうとするようなパターンが実に多い。また、一般の人も力のあるところに対して、「やっぱり○○といったら、○○だよねー」なんて感じで簡単にそういったものを賞賛してしまうんです。
力のあるところといえば・・・例えば「自民党」と「巨人軍」。
サッカーは一時川崎ベルディがそういう状態だったように思いますが、今は比較的地元密着型のファンが多くなり、欧米並みのノリになっているように思います。ただ、そのおかげで好きな人は好きだけどプロ野球ほど一般的になり得ているか、というと少し疑問はあります。つまり、一方的に強いものがいなければその世界そのものが社会全体に認知されにくいのです。
そう考えるとプロ野球における巨人の存在は、この業界にとって必要悪のようなもので、なりふり構わずなんでもやってしまう巨人を小声で批判しながらも、その恩恵にあずかざるを得ないのが今の状態なのでしょう。実際、パリーグの観客の数と巨人戦の観客数の違いを見ると悲しいくらいの差があるし、テレビ番組でも巨人を扱うところがなんと多いことか。それでも商業的な成功を考えれば、強いところに媚を売るしかないのは仕方がないとも言えますが、それがなんとなく露骨なのがちょっといやらしく思うのです。
それに「自民党」...最悪ですねェ。よその国では民主化されて一つの党だけでなくなると大喜びしているのに、なんで日本ではこうも一党独裁に国民がしたがるのか。50年近く一党が政権を持っているなど独裁と同じこと。元首を直接選挙で選べないから、事実上国民は政権の選択権を放棄しているのです。そして、党内の力関係だけで首相が選ばれ、日本的順送り人事で総理は次々と変わる。世界的に見たら、かなり異常なことでしょう。さらに、その自民党の中でも、派閥がその力を競っており、結局一番力のある旧小渕派が事実上の主導権を握っているわけです。こうなると、いくら選挙があろうとも日本の政権の枠組みは常にその少数の人たちで決められていることになります。その人たちに能力があるかないかはこの際問題ではありません。相手があり、競争するからこそお互いが高められる、という仕組みからは程遠い状態にあるのが問題なのです。

でもわずかながら、長いものに巻かれるのがカッコ悪いと思うような感覚が日本にも芽生えているように思います。先の選挙でもその兆候は垣間見えたし、トップ企業の奢りがすぐにマスコミに批判されたりするようになったためかもしれません。やっぱり、強いものに敢然と立ち向かい対決していく、というアメリカンなカッコ良さというのが、もう少し日本にも必要なのでしょう。



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