スラーの話(00/7/2)


ではお約束どおり、スラーの話をしてみましょう。
スラーというのはご存知のとおり、音符同士を曲線でつなげる記号です。通常、スラーを楽譜に記入することによって、レガートに演奏することを示すのですが、この記号は演奏する楽器によって意味合いが微妙に変わったりします。
一番明確なものは弦楽器に対する指示でしょう。弦楽器ではボーイング(弓使い)を指定することになるからです。つまり、スラーでつながれた音符はなるべく一弓で弾かなければいけません。かなり長い間、一つのスラーでつながれている場合は、弓の返しもなるべくつながるように演奏するわけです。もし、スラーがついていなければ、弦楽器では一音符ずつ弓を弾きなおすので、聞いた感じもかなり明確な差が出るのです。ですから弦楽器のスコアにおけるスラーの指示は、作曲家のほうも音像をかなり明確に思い浮かべながら意識してつけていると私は思います。
しかしそれに比べると、声楽やピアノなどのスラーの扱いは相当作曲家が恣意的に利用しているように思われます。
例えばピアノの場合、スラーをつけた場合とつけない場合で演奏家はどう弾き分けるでしょうか。もちろん、指の動きを滑らかにしてなるべく音をつながるように弾く、という答えが普通は返ってくるでしょう。しかし、ほとんどの場合ピアノはペダルを踏んで演奏するので、そういった微妙な指の動きがどこまで音響的に違って聞こえてくるかは怪しいところです。私はピアノが満足に弾けるわけではないので、ピアノ弾きに反論されたら返す言葉もありません。しかし、ピアノ音楽に対するスラーの取り扱いは物理的な演奏法を規定するものではないことは確かです。むしろ発想標語に近い記号であると言えるのではないでしょうか。
そうなると、作曲家がどんな範囲でスラーを指定しているのか、そしてその範囲は何を意味しているのか、というのを演奏者が汲み取る作業が必ず必要になってきます。単純に一小節単位でスラーがつけられる場合もあるし、壮麗なアルペジオの端から端まで書かれている場合もあります。何小節にもわたるメロディに一つのスラーがつけられる場合もあるでしょう。またリズムを担当するパートの特定の部分にスラーが書かれれば、そのリズムのノリを指定することにもなります。このように、作曲者の思い入れが違う一つ一つの場所に対して同じスラーの記号が書かれるので、やはり十分にその意味を感じて演奏するべきなのです。

それでは、声楽の場合はどうでしょう。
通常は声楽にスラーは使いませんが、そうは言いつつも結構使われたりしています。声楽におけるスラーは、一般的にはヴォカリーズ部分のフレーズの分け目の指定、あるいは息継ぎの指定、に使われていると思います。ヴォカリーズは、たいていは母音唱、あるいはハミングなのですが、最近だと「ルルル」「ラララ」「トゥルル」「ドゥドゥドゥ」などいろいろパターンがあります。
さてここで困るのは、子音を伴う音でスラーをつけるかどうか、です。同じ音色しか出すことの出来ない声楽以外の持続音系の楽器では、音をつなげることはかなり明確に表現できるのですが、子音をつければ音を一本につなげることはできません(あくまで物理的に)。この場合、スラーの意味を強調するならスラーをつけるでしょうし、あくまで物理的に音をつなげるという定義にこだわるならスラーはつけない、ということになるでしょう。この場合も、いろんな作曲家のスタンスを知るのは結構面白いです。
ちなみに、ヴォカリーズだけでなく、歌詞のあるメロディにまでスラーをつけてしまう作曲家もいます。これは、上記のレガートという意味をさらに拡大解釈して利用している例でしょう。しかしここまで来ると、記号の感情的な意味だけが一人歩きしてしまいそうで、私としてはあんまり好きではないですね。
いずれにしろ、作曲家は自分の中であるルールを決めてスラーをつけているはずです。それは、簡単におおやけにはしないものでしょうが、いろいろな作曲家の心に秘めた隠れたルールを探すのもまた面白いものです。


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