さよならアメリカ さよならニッポン(00/4/30)


クラシック音楽を学びに海外に留学した人たちが、よく、日本人の自分がなぜ西洋のクラシック音楽をやるのか、と疑問に感じる時期があると聞きます。もちろん、すべての人がそう思うわけではないにしても、ちょっと哲学的な感受性を持った人が、どうしても日本人の自分が自由に出来ないある種のテイストを感じた時に、そういった壁にぶつかるのでしょう。いくら音楽の技術が優れていたって、本場で生まれ育った人の圧倒的な環境の有利さを思うと、しょせん自分は外国の文化を一生懸命真似ようとしているだけだと思ってしまうわけです。
もちろん、それほど高邁な理想を掲げて外国に来ているのでなければ、単にクラシック音楽を学びに来ているということで済むのでしょうが、演奏家として活動したい、ということであればそういった思いが切実であるのは想像がつきます。
しかし、上のようなことを外国に行って初めて気付くのではなく、日本にいてももう少し考えてみたらどうだろう、と私は思います。
演奏家、作曲家というようなクリエイティブな場所にいるつもりならば、いつかは絶対ぶつかる問題だし、それに対して結論はないにしても何らかの思索をした人のほうが芸術としてより高いところにいけるのではないでしょうか。この問題に関してプロアマの差はありません。日本を出ずに単なる西洋礼賛を続けるなら、逆説的だけど日本人にしか通用しないものになります。もちろん、アマチュアならせいぜい地方での活動になるのですから、それでもいいかもしれないけど、結果的には日本中どこに行っても同じようなことをやっている演奏団体がただ増えていくだけでしょう。
もちろん、私にも相当強い西洋礼賛の傾向があるし、日本人の心底にあるそういった感情はどうやってもぬぐえるものではありません。でも一人一人が少しずつでも、日本人の自分が出来る音楽、を考えてくれれば、もっともっと大きな文化的ムーブメントを世界に発信できるようになるような気がします。これを大それたことと感じてしまうのなら、その人のやっていることは単なるお習い事ではないでしょうか。

先週BSで細野晴臣の特集をやっていて、やはり同じようなことを話していたのです。
その昔、細野晴臣は「はっぴいえんど」というバンドをやっていたのですが、そのバンドでは日本語によるロックをやる、という大きなテーマとなっていました。当時ロックをやろうとする人はみんなイギリス、アメリカに憧れ、英語の曲を演奏していたのですが、彼らは同じようにアメリカに憧れながらも日本人である自分たちの色を作りたい、という大きな理想を掲げていたのです。
結果的に彼らは周りからマニアックな活動をしていると思われ、日本にいては詩の内容はわかるけど曲がこれでは理解されないから売れない、と言われ、海外に行っては曲は面白いけど詩が分からない、と言われたとか。まさにみずからのアイデンティティが引き裂かれる思いだったのでしょう。
そして、はっぴいえんどは「さよならアメリカ さよならニッポン」という曲を終曲に持つアルバムで解散することになります。「さよならアメリカ さよならニッポン」だけしか歌詞がないこの曲は、まさに彼らの到達した心境があらわれていると言えるでしょう。細野氏自身も、ある種の挫折、あきらめの表明だったと語っています。そして自分の持つ二つのアイデンティティに「さよなら」を告げた後、細野晴臣は、テクノ、ワールドミュージックといった無国籍な音楽を指向するようになります。
ここにも、クリエイティブであろうとして悩んだ人がいたのだなあと、そしてそれが一つの文化を作り出す原動力になったのだなあと私は感じました。




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