ヘンな集団(00/2/6)


ニュースではオウムなどのカルト団体の話題に事かかない昨今です。
オウムだけでも十分危ない団体なのに、ミイラ化した死体を生きていると言ったり、「最高ですかぁ」を連発する変な教祖が現れたり、いろんなカルト団体があるものです。もちろん古くからも、韓国で合同結婚式をやったりする団体が話題になったこともありましたし、半ば宗教化した指導者がオカルトまがいの本を矢継ぎ早に出版してたりもしています。
傍からみると、やっぱり変だと思うけど、その変な環境にどっぷりつかっている人たちにはその特殊性に気が付かないものなのでしょう。実際、さまざまなことを一人で正しく判断できる人なんてそう多くはなくて、誰もが一般と少し違う常識で洗脳されてしまうなんてことは結構簡単なことなのかもしれません。いや自分はそんなことはない、という人もいるでしょうが、自分が所属している組織を思い浮かべて、その中で当然のようにやっているちょっと変なことって意外とあるんじゃないでしょうか。

そう考えてすぐ思うのは、合唱団のことです。
合唱団自体、人がいなければ成り立たないのですから、合唱団が音楽を演奏する単位であるという前に、人間が集まった集団的性格を持つことは避けようのない事実でしょう。しかも、合唱団の特質って良く考えてみるとカルトに近いものがあるように思うのは私だけでしょうか。
合唱団が演奏するためには指揮者が必要です。合唱団員はほとんどが音楽のアマチュアであり、先生と呼ばれるその指揮者に盲目的に従う傾向が強い。指揮者のカリスマ性が高ければ高いほどそうだし、団員もそういった指導者を好む傾向があるように感じます。東京などの大都市なら比較的自立した演奏者の集まった高いレベルの団もあるでしょうが、地方都市ではなかなかそこまでの人材も少ないと思います。
指揮者が団の精神的な支柱だとすれば、実際に団を運営するスタッフがそれとは別にいて実際の活動をドライブしていきます(指導者が運営までやっているようなところは、まだまだカルトとまではいかないでしょう)。この運営スタッフというのが、どこまで指導者に帰依していてその考えを団内に徹底させるかがポイントです。ここで、運営側がどこまで暴走するかが団のあり方を大きく変える要因となるでしょう^^;;;。実際、運営スタッフが指揮者のお付きみたいになって、へいへいと付いて回っている団体とか、傍からみるとすごく気持ちの悪いものに見えますね、少なくとも私には。
このような精神的なつながりを大事にする団体は、何らかの機会に各メンバーの集団への帰依度を様々な形で計ったりするものです。もちろん、運営サイドはそんなつもりはないでしょうけど、いろいろな行事の参加とか、団内の細々とした仕事の分担とか、金銭的な負担とか、ちょっと意地悪な目で見ると、団に対してその人がどこまで帰依しているかを占っているように見える事だってあります(思わずうなずく人も多いのでは^^;;;)。そこで、団に対して貢献度が多い人ほどその集団の中で確固たる地位を占めるようになっていくわけです。
別にここで書いたことは、特定の団体を指しているわけではありませんが、自分が今まで所属した合唱団が多かれ少なかれこんな傾向を持っていたことは確かです。自分はこういった感じがあんまり好きではなかったから、そういった団体の運営にまわることもなかったし、自分がやるならそんなふうにはしたくないとも思っています。
でも、実際はなかなか難しいですね。そういう傾向を少しでも感じると、私の場合敏感に反応してしまい過ぎかもしれないですが。

ときどき、オーケストラのような集団のあり方に羨望を感じることがあります。
彼らは、同じ団体内でもそれぞれが別のスキルを持っている演奏家であり、集団の中では(少なくとも合唱団員よりは)自立の度合いが高いように思えます。精神的な一体感より、むしろ個人と団体との契約関係で結ばれ、指導者に対しても一定の距離を保つ。でも、そういう態度を維持していかないと、個人の音楽スキルを向上することは出来ないし、より高いレベルで音楽を感じることは出来ないでしょう。マネージの上でも一人一人のパートが違うから、演奏の準備や手間も違う。それらをまとめるためにルールをしっかり作ってそれを守ろうとする態度もオーケストラのほうがずっと上のように思えます。
合唱団がカルト傾向を持っているかは議論の余地もありますけど、こういった集団が苦手な人って結構たくさんいると思いますよ。



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