プロは謙虚である(99/11/14)


私は浜松バッハ研究会にも所属していて、練習は休みがちながらも(スイマセン)来年2月のロ短調ミサの演奏会に向けて現在練習しているところです。
このバッハ研究会の指導は二期会とかでも合唱指導をしている三澤洋史先生。今年はバイロイトの音楽祭に招かれるなど、かなり知名度も高まっている方なのですが、この先生の練習がとても好きで私はこの合唱団に入っている、といっても過言ではありません。はっきりいって、三澤先生の練習では先生がしゃべり過ぎな傾向があるのですが、実は私はそのおしゃべりが好きだったりします。
最近は、合唱団として本質的に解決しなければいけないようなこと、を言われることが多く、年配の人が多くて柔軟性がやや欠けた(スイマセン)浜松バッハ研にとって先生の要求はちょっと荷が重いところもあるのは確かです。
今日も三澤先生の練習だったのですが、今日はそこで先生が言った話と、それにまつわることなど。

いい演奏をするには、結局、各合唱団員はアンサンブル能力を高めなければいけません。そのためには、指揮者の棒に全面的に従うのではなく、それぞれがどんな音楽を作りたいか、そういったイメージを持ち、自発的に演奏に向かってくれない限りは良い演奏ができない、というようなことを今日は話しました。
当然合唱団にはいろいろな人が集まっているから音楽的に鈍感な人もいるし、敏感な人もいる。だけど、その団の中で、鈍感な人に対して団内で注意することはとても難しいことです。
例えば、先生が指導している合唱団に練習に行ったとき、その団の人に、
「先生、○○さんの声の質が浅くて、どうしても溶け込まず飛び出てしまうんですけど、一向に変らないんです。先生の方からそれとなく注意してもらえないでしょうか?」
なんてことを良く頼まれるそうなのです。しかし先生にとったって、月に一回程度のレッスンで、その団が通常どのように活動しているかあまりわからないところに、そのような団内の困り事など相談されても困るわけです。しかし団としては、自分たちが自分で注意しづらいことを先生の手を借りてなんとかならないかと、つい先生にそうした話をしてしまうのでしょう。

自分が合唱をしていても、特に団員同士で注意し合うことはとても難しいと思うことがあります。たいていは人を注意するのは全然気にならないけど、人から注意されるとついムッとしてしまうというのが一般心理でしょう。
だから人から「ちょっと走り気味じゃない?」とか言われると、「そっちが遅れてるんじゃないの。」とか反論されたり、「この部分はこのくらいのテンポ感が必要なんだよ。」とか自己正当化してしまう人はときどきいます。そして注意した方も、一回そう言われるともう注意したくなくなります。
しかし、そもそもアンサンブルでは全てが横の関係であり(音楽的権限という意味で)、そういった団体内での注意がしっかり機能しないことにはそのアンサンブル自体が高まることは出来ません。
三澤先生の言うことには、実際プロであっても誰でも弱点があるはずで、その自分の弱点について良く知っていることが逆にプロの証であるとのこと。だからこそ、人から指摘されたら素直に謝るし、逆に今の演奏で問題ないか、人に良く尋ねる。先生の知る限りでは、こういったことができる演奏家こそ、実際非常に高いレベルの演奏家であることが多いと話していました。
プロである以上我々よりは圧倒的に音楽に触れる時間が長いわけで、そういう場ではお互いの立場を尊重し合いながらも良い音楽を作っていく、という努力をしなければいけないわけですが、そういう機会が多いからこそプロであるほど謙虚である、ということも言えるのかもなあ、と先生の話を聞いて思っていたのです。自己主張することと、謙虚であることは同時に成り立ち得るはずです。そのあたりを勘違いすると、ただ主張するばかりで人のプライドまで傷つけるような人が妙なイニシアチブを持っている、ということにもなりかねません。実際、日本にはそういった団体が多そうな気がします。
遠慮なく人に注意できる、自分の弱点を知り謙虚にそれを受け止める、この二つが出来てようやく本当のアンサンブルが見えてくる、と先生の話を聞いて感じました。




inserted by FC2 system