器楽曲を書く難しさ(99/8/17)


今、友人に頼まれて(あるいは、自分自身の興味から)器楽曲を書いています。しかし、正直言って非常に苦労しているところです。もちろん作曲の際の生みの苦しみと言うこともできるのですが、実際そんな格好いいもんじゃないという私の悩みを聞いてください。

例えば、現在活躍するプロの(クラシック系の)作曲家を想像してみましょう。
もちろん、プロですからテレビや映画の音楽の仕事などもあるでしょうが、彼らの純音楽としての器楽曲というのは、だいたい難解でメロディのわかりにくいいわゆる現代音楽と言われるような音楽だったりします。 こんな言い方をすると素人くさく思われるかもしれませんが、私は現代音楽に対して非常に懐疑的に思っていますし、それは多くの音楽愛好家の正直な気持でもあると考えています。この話題については、またあらためてお話したいと思っていますが、とりあえず今は置いておきましょう。
つまり、私自身は内容的にヘビーで無調とか響き中心の現代音楽的な音楽を書く気などさらさらないですし、そんなもの書いても普通のアマチュア演奏家には演奏出来ないことでしょう。だいいち、聴いた人は誰も喜んでくれないんじゃないでしょうか。(少なくとも私の周りでは)

一般の音楽愛好家にとって器楽曲の真髄とは、いわゆるロマン派の音楽にあると思います。3あるいは4楽章で構成され、ソナタ形式とか、変奏曲形式とか、そういった各楽章の音楽の構成が面白く、また興味をそそる部分でもあります。当然のことながら、これだけの構成力を備えた音楽を作るには並々ならない作曲の勉強と努力が必要だと思うし、長いキャリアも必要だと感じます。また、これだけの音楽を鑑賞しうる成熟した聴衆も必要です。
ところが、そのような形式で書けば誰が見てもロマン派的音楽の焼き直しとしか思わないし、そういう理由でいまどきそんな形式で曲を書く作曲家はほとんどいません。例えば、ブーレーズがまだ若く前衛の旗手であった頃、シェーンベルグの音楽を、12音技法を使っているにもかかわらず、ソナタ形式などという古い形式に固執している、と批判しています。実際ブーレーズは音価や強弱にまで音列の作法を導入したトータルセリーの道を歩みます。
なら、あえてソナタ形式で曲を書いてみれば、という気持も十分あるのですが、いかんせん、私のような草作曲家には荷が重い。楽想の展開がどうやってもダサくなってしまい、いろいろな曲と聞き比べるとあまりに見劣りがして自分でもいやになってしまいます。 合唱曲にはテキストがある分、音楽がテキストに左右されますし、あるいはテキストの内容を生かして作曲を進めることが出来ます。実際、私の知る限り器楽曲的な構成を持った合唱曲は聞いたことがありません(例えばソナタ形式の合唱曲なんて知らない)。

結局、一般の人が楽しめて、自分でも思ったとおりに書けるような器楽曲、となるとこれはもう、歌謡曲的世界になってしまうわけです。もう少し良くいえば、映画音楽的世界でしょうか。
率直に言って、私は今そういう路線で書いています。もちろん、歌謡曲的と言うと誉め言葉とは思えないでしょうが、自分としては歌謡曲的形式の中で、精一杯インパクトのある音楽を作ろうと努力しているわけです。 しかし、こういった音楽はよほどインパクトがないと、「なんか歌謡曲みたい〜」なんてみんなに突っ込まれてしまうんですね。苦労して書いても、「内容が薄い」なんて言われちゃうし。
結局、一般聴衆が喜ぶような音楽と、みんなが私に期待している音楽と、今の時代に作曲家が探求すべき音楽と、いろんなものが自分の中でぐちゃぐちゃになっているのが現状なのでしょう。合唱曲ならいろいろなアイデアが湧いて、書きたい気持でいっぱいになるのですが、いまの私は器楽曲はちょっと苦手に感じているところです。



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