夏といえば...甲子園だった(99/8/9)


まだまだ私が小学生だったころ、その頃の多くの小学生と同様、やはり野球が好きでした。好きといっても、別にうまかったわけでもなんでもなく、ただ、ゴムボールやプラスチックのバットで野球ごっこするのが楽しかっただけです。

子供の頃の夏の風物詩といえば、夏の甲子園大会でした。
特に何もすることのない夏休みの日は、よくテレビで高校野球を見ていたものです。 もちろん、応援するのは地元、山梨県の高校です。ところが、私が小学生の頃、山梨県勢はむちゃくちゃ弱く、山梨県勢が甲子園で1勝も出来ない記録を10年近く更新していたのです。では、負けてしまったらそれでもう見ないかというとそういうわけではありませんでした。
自分なりに応援する高校を決めたのです。で、どのように決めたかというと、まず、最初は山梨県の高校を応援します。この高校が負けたときは、この高校を負かせた高校を次に応援します。新たに応援した高校が負けたら、またその高校を負かせた高校を応援します。こうやって、いつも気持の中で一つの高校を応援する、という法則を決めて自分で楽しんでいたのです。
ただ、負かせたところを応援したのでは、結局最後には優勝校に行きついてしまうわけで、それでは面白くないし、子供心になんか節操がないような気がしました。 そこで、応援校の乗り換えは5回まで、と心に決めたのです。ちなみに、この5回とは山梨県大会まで含めていて、一番最初に応援する高校も決めていました。
そんなこんなで、夏休みには甲子園大会を見ながら一人遊びをしていたのでした。

実は、もう一つ高校野球を楽しむきっかけがありました。
あんまり大きな声で言えませんが、私の父親の会社の中で、甲子園の決勝校を当てる賭け事をやっていて、そのプリントを父親が家に持ってきて、今年はどうなるかうち中で考えたりしたのです。各代表校が全部で8つの枠に分けられており、決勝校の組み合わせを3-5とか、1-7とか予想するわけです。もちろん会社内では、お金も飛び交っていたことでしょう。だんだん枠の中の高校が消えていって、自分が賭けた枠の高校がなくなりそうになると、ついつい残りの高校を応援したくなるのが人情というもの。それはそれで、甲子園を楽しむきっかけになっていたと思います。

山梨県勢は東海大甲府高校の出現により、だんだん強くなりました。
夢に見た甲子園での一勝もなんなく手中にし、最高時は準決勝くらいまでいったように思います。この高校の監督は山梨県でかなり有名になり、また県外からも野球をするために人が集まったりして、私はなんとなく疑問を持ちながらも、強くなった山梨県勢をちょっと嬉しく思いました。
就職してから、仕事で高校野球など見ていられなくなり、今はすっかり興味も冷めていますが、甲子園大会というと、子供の頃の夏休みのひとこまを今でも思い出します。


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