音楽演奏のモチベーション その2(04/6/5)


ある種、閉鎖的ともいえる日本のお稽古系音楽ジャンルは、恐らく以下のような連鎖が進んでしまうのだと思うのです。

  1. 優秀な演奏家を輩出するために、コンクールが行われる。
  2. 格付けが欲しいアマチュア演奏家が、コンクールを演奏の上達のモチベーションに感じ始める。
  3. 上位入賞者の傾向が、それ以降のコンクールの雰囲気を先導するようになる。
  4. 差がつく部分のインフレーション現象。技術指向、特殊効果などを持つ曲など。
  5. 聴衆不在の閉ざされた世界観が作られる・・・

もちろん、どんな音楽ジャンルにおいてもコンクールが全てなんてものはないはずですし、合唱でもコンクールに参加しない人はやまほどいます。しかし、それでも合唱音楽に詳しくない人から見れば、全般的には閉鎖的なお稽古系ジャンルと思われてしまうフシはあります。

結局のところ、問題なのは聴衆不在ということなのだと前から思っているのです。
自分たちが演奏会を開いたって、チケットは団員が一生懸命売るのが当たり前。本来なら、プレイガイドに置いておくだけで十分お客さんが集まるというそんな演奏会にしたいものです。
まあ、日本における合唱演奏会では夢また夢といったところでしょう。プロの合唱団だって、主催者側がチケットをさばく努力をしなければ、全くお客が集まらないというのが実態ではないでしょうか。

まずは、演奏者と聴衆の間に市場を作らなければいけません。
そのためには、すでに市場が出来上がっている地方の状況など参考にすべきでしょうが、合唱の場合、本場のヨーロッパとでは歴然とした市場性の違いがあります。
言うまでもなく、欧米において合唱音楽の母体となる場所は教会であり、キリスト教であるという点です。今でも、多くの外国人作曲家が扱うテキストの多くは宗教に由来するものです。欧米人のほとんどは、小さい頃からクリスマスにはキリスト生誕の話を聞いて育ち、キリストの受難と復活を教えられ、文化の隅々までキリスト教文化が浸透していることを肌で感じます。
教会に行けば、聖歌を歌い、ミサを聴きます。荘厳なオルガンの調べと合唱の歌声は、日常の延長にあり、宗教的な敬虔な心理と一体となっていると思われます。
そう考えると、少なくとも日本においては欧米の合唱事情をそのまま持ち込むことは全く不可能のように思われます。

結局、私が考えるのは、そのジャンル発のスーパースター、アイドル的存在が必要だということです。
アイドルなんていうと、若者が追っかけをしてキャーキャー騒がれるようなイメージもありますが、これからの高齢化社会、若者だけでなくもっと高齢の人たちのアイドルがあってもいいじゃないですか。
少なくとも、彼らを見たい人がいるのなら、彼らは労せずしてチケットを売りさばくことができるでしょう。多くの人が見たいと思えば、需要が増え、同じような団体も現れるかもしれません。そうすれば、市場ができます。市場が出来れば、市場に残るための競争が生まれます。
市場という言い方は、音楽の場合、抵抗感を覚える人もいるかもしれません。ただ、私は金銭的な意味だけでなく、演奏者と聴衆の間に生まれた需要と供給の関係について、市場性という言葉をあえて使っています。

だからこそ、現在の合唱界の一線級の演奏家の皆さんには、そのような合唱界を飛び出すスーパーグループにまずなって欲しい、と思っています。そのためには、伝統的な様式に縛られない、もっと現代的な感覚を持ったディレクターが必要です。そういう活動をすると、ときに堕落したなどと言われるものですが、そんな保守的な意見を気にしてはいけません。
有名な合唱指揮者の方々にも、あちこちの合唱団で指導するだけでなく、プロとして通用するスーパーグループを作って欲しい、と私は切に願っているのですが。


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