映画から構造について考える(04/5/1)


音楽作品の構造の問題について、これまでも何回か書いてきました。(これとかこれとかこれとか)

実は、今回の話は音楽とは全然関係ないところから始まります。
一般的にいえば、日本の映画はやはりハリウッド映画にはどうしてもかなわないのです。特にSF映画。だからこそ、何としても面白い日本のSF映画に出会いたくて、ついついいろいろ見に行ってしまうのです。
先日、話題の「CASSHERN(キャシャーン)」を見に行ってきました。俳優陣もすごいし、予告編を見ると結構面白そう。世紀末的な世界観にも惹かれるし、宇多田ヒカルのダンナが監督というのもちょっと気になる、ということで公開前から興味は持っていたのです。

さて、感想はというと、正直に言えば見事なくらいはずしたという感じ。邦画の面白くない一典型を垣間見た気分なのです。
まあ別に大して良くなかった、というくらいならこんな文章は書かないのですが、この面白くなさには、非常に語るべき何かがあるような気がするのです。芸術作品としてのこの映画の問題点を、反面教師としてちょっと考えてみたくなるような、そんな気分なのです。
もちろん、この映画を楽しんで見た方もいらっしゃるでしょうから、面白くなかったのはあくまで私自身の個人的な意見ということを承知してください。

結局のところ、この映画の問題点とは構造性の欠如ではないかと思うのです。
全編、プロモーションビデオを作るような感覚で出来ていて、とにかく特殊映像技術のオンパレード、バックミュージックのオンパレードです。全てに力が入りすぎたせいで、逆に全体が平坦になってしまっているのです。おかげでストーリーの起伏が無くなってしまい、表現の力点が伝わってきません。どのシーンももったいぶった作り方で(山場で使われるような技法)、ストーリーのテンポ感も悪く、かなりダレてきてしまいました。
何度か繰り返される反戦メッセージも、メインのストーリーとどうも遊離している感じがするし、取ってつけた感じがしないでもありません。ここで見せられる戦争のおぞましさの表現も、どこかステロタイプな気がします。

大きな作品には必ず構造が必要だと何回か言ってきました。これは、映画であっても音楽であっても同じことだと思います。
一発アイデア的な作品なら、小さい作品、短編のほうが絶対映えるはずだし、逆に小さなアイデアをただたくさん積み重ねて大きなものを作ってしまうと、かなりいびつなものになってしまいます。
大雑把に言えば、面白くない邦画というのはたいていこの構造性が欠如しているような感じがします。場面場面でまるで思いつきで作ったように話が展開していき、ストーリー全体が一貫していなかったり、論理的に破綻していたりこともしばしば。ハリウッド映画ならB級映画であっても、もう少し気の利いた伏線の張り方をしています。
この構造性の欠如はもしかしたら、日本人の特性とも思えるのですがいかがでしょう?

さて、映画のキャシャーンですが、もちろん悪いことばかりではありません。
ハイテクと重化学工業がミックスしたような独特な機械デザインとか、アジア的な雰囲気、町並みや情景の作り込みなど、洋画のSF映画を凌駕する出来だと思います。小物はとてもよく出来ているのです。



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