4度堆積和音とその理論化(04/2/21)


新しい音楽を作るために4度堆積で和音を作ったらどうか、などと言いましたが、実際のところ、この試みは、古くは既にドビュッシー、スクリャービン、シェーンベルグ等によって試されたと言われています。要するに100年も前から、いろいろな作曲家が考えていることなんですね。

私なりに、4度堆積ベースで作られる音楽を、ちょっと類型化してみましょう。
一つは、3度堆積ベースの音楽の補完的に使われるような場合。簡単に言えば、テンション音を4度堆積で追加するというような方法。結局は3度堆積和音を4度堆積的に記述するわけで、ドミナント、トニックなどの和音の関係性は通常の機能和声内で把握できる範囲となります。もちろんこの場合、テンション音の度合いが高くなり、ジャズっぽい雰囲気になっていくと思います。
たいていの理論書で出てくる4度堆積というのは、この方法が記述されていることが多いのですが、基本的にはアッパー・ストラクチャー・トライアドみたいに、テンション音の加え方を類型化して手グセ化するための、ジャズ・フュージョン的、インプロビゼーション的な理論になっているように感じます。

クラシック音楽的に4度堆積といった場合、もう少しアバンギャルドな雰囲気を漂わせ始めます。
ただし、その中でも保守的な使われ方としては、ダイアトニック音のみで(要するに#やbがない)音楽を構成するときに、この4度堆積を使うやり方。うーんと、うまく説明できないんですが・・・、ドビュッシーの「沈める寺」みたいな感じというか。
まあ、この曲も3度堆積の和音中心で出来ているのですが、時折「ソ、ド、レ」みたいな、sus4っぽい和音が出てきます。通常、sus4は長3和音か短3和音に解決するわけですが、もし解決されないsus4が出てきたら、4度堆積的な発想をする必要が出てきます。なぜなら、4度堆積和音を展開すると、sus4和音になるからです。
ダイアトニック音中心で音楽が構成されれば、そこには明確な調が存在します。調性を感じさせながら、浮遊感のある4度堆積を使うことによって、和音というよりは、スケールで音楽が作られているようなそんな雰囲気を感じさせます。個人的には、結構好きな響きなので、いろいろと研究してみたいとは思うのですが。
ときに、解決されないsus4和音は日本的な雰囲気を漂わせたりします。これも多用するとセンスを疑われますが、上記のダイアトニック的4度堆積が、場合によっては民族音楽的な感じを出すようにも思えます。

類型化といっても残るは、その他のもっと複雑な使い方。ダイアトニック音中心でなければ、もはや響きはますます抽象化の一途をたどり、かなり現代的な雰囲気を醸し出します。こうなると各作曲家のいろいろな方法が出てくるわけですが、果たして聞く側がそのような音楽を期待しているかは疑問の余地はあります。
例えば、4度堆積で構成音が3つまでなら上記のようにsus4的に捉えられるのですが、構成音が4つになるともはや3度堆積ベースで換算することが出来なくなり、既知の響きからは遠ざかっていくでしょう。

そう考えてみると、4度堆積和音は100年以上前から使われているにもかかわらず、ポップスなども含め必ずしも一般化している響きとは言い難いのではないでしょうか。
確かに、音楽のスタイルに関する流行り廃りは当然あるものですが、音楽が理論的に進化したといえるのは、もしかしたら古典期くらいまでで、現在のほとんどの人々が新しい音楽に求めている気持ち良さというのは、音の複雑な構成や抽象化した響きではないような気がしています。100年経っても公式化され得ない理論は所詮メインストリームにはなり得ないのかもしれません。
音楽理論というのは、それ自体で独立した世界観を作ってしまいがちです。しかし、理論などとは無縁に音楽を楽しむ大多数の人々がいることは厳然とした事実であり、この4度堆積の利用に対しても、常に音楽の気持ちよさを忘れない程度の節度を持って使うべきだとあらためて思います。



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