子供文化の精神的故郷-遠足-(04/2/8)


日本は子供の文化だ、という先週の話、一人一人が子供に対して、どんな思いを抱くのか、そんなところにも反映しているように感じます。もし、自分の人生の好きな年代はと聞かれたら、多くの人が子供時代と答えるのではないでしょうか。社会全体でも、子供を見る眼差しというのは基本的に暖かいものです。

時々、会社に向かう電車の中で、小学校低学年、あるいは幼稚園と思われる大量の子供集団と遭遇することがあります。身なりからすると、遠足というわけでもなさそうなので、なんらかの課外授業なんでしょう。それにしても、もうその騒ぎといったらありません。もっともうるさいのは、ほとんどはあちらこちらで騒いでいる子供を先生が大声で注意している声だったりするのですが。
いくらうるさいと言ったって、あれだけの子供相手に、一般客はどうすることも出来ませんから、ただ黙って耐えるしかありません。そういう光景をほほえましく感じて、思わず子供に話しかけてしまう人徳のある人なら良いのですが、私のような狭量な人間は、窓を見てしょうもないことで奇声を上げたり、吊り輪でぶら下がってたりするのを見るたびに、一人イライラを募らせているわけです。

自分が子供の頃、どうだったかなと思えば、遠足で電車に乗ったりするのは、ほんとに楽しいことだったように思うのです。
そりゃ、たくさんの人数で、学校以外の場所に行ったら、一人で行くよりも絶対楽しいですよね!
もちろん、子供の頃なんて、自分がどれだけ周りの大人に迷惑をかけてたかなんて思いもしなかったことでしょう。先生に注意されたって、それで周りの人の迷惑まで思い至るような賢い年齢であるはずもありません。

それで、もしかして、遠足、あるいは修学旅行といった学校での行事って、日本人的メンタリティの醸成に非常に大きな影響を与えているのではないかとちょっと思ったりするのです。
もし、あれを文字通り、街に出ることは、電車の乗り方や公共のマナーなどの社会勉強をするためだと思っていたら大間違いだと思います。皆さんは、遠足で、自分の社会性、公共性が向上したと思いますか?事実は逆じゃないでしょうか?
つまり、自分が大きな集団の中にいて団体行動を取るならば、何でも許されてしまう、という感覚を身に着けてしまったりしないでしょうか。逆に、遠足に遭遇した側は、大挙して人が押し寄せれば何も言えないわけで、子供が大量に公共の場にいたらほほえましく思うことを強要されることにつながります(ちょっと被害妄想的^^;)。
まあ、日本人の海外旅行といえば団体の旅行で、大人になっても修学旅行気分は消えないものです。それでも、旅行の準備やもろもろを何から何まで自分でやるのは面倒だし、たくさん人がいれば安心だし、などと思って、ついつい団体旅行で行ってしまうのはやはり学校時代に育てられたメンタリティの賜物ではないかと思ってしまうのです。そういう行動は、欧米的な洗練された旅行のスタイルとはやっぱり違うものでしょう。

オバサンになってもオジサンになっても、集団になれば子供のようにうるさくなるものです。たくさんの人の中にいることによって、気分も大きくなります。傍から見ると迷惑なものですが、中にいると気が付かないものなのでしょう。
日本人が集団でいるときの社会的、公共的なモラルの低さは、実は遠足に起因しているのではないかと、ちょっとばかり私は疑っています。


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