凝り性(99/6/21)


昔から凝り性なところがありました。今となると、自分より凝り性な人間をたくさん見ているので、ずば抜けているとは思わないけど、やっぱり他の人から比べると多少凝り性なんだなあ、と思います。
私の場合、もっぱら何か作ることに興味が向いたようです。小学生の頃はその年頃の子供が誰でも興味を持つように、プラモデルなどの模型が好きでした。その後しばらくして、飾っておくだけのプラモデルに飽き足らず、実際に動かすもののほうに興味が移り、ラジコンを始めました。懐かしい話なんで、今日はこのラジコンにどのように凝ったのか、書いてみましょう。

私がやっていたラジコンは、電動カーです。ラジコンの中でももっとも値段が安くて手頃なジャンルです。
しかし、ラジコンといって馬鹿にしてはいけません。当時のものでも、チューンナップすれば軽く30〜40km/hの速度は出ましたし、4輪駆動や4輪独立サスペンションなんて機種もありました(オフロードでなくても)。スピードはコイル状に抵抗が巻かれている無段変速器なんてのがあって、自由に変化できました。シャーシも、金属のものからより軽量のグラスファイバー製に変わるころでしたね。
ちょうど中学のころラジコンが流行ったこともあって、一緒に出来る友達もいて、模型店主催のレースに参加したりして随分遊びました。レースのほうは、最初の頃はいつもリタイアで、レースに出るたびに悔しい思いをしていたのですが、だんだん完走できるようになり、そのうち賞状までもらうようになっていました。
まあ、たいていの友人は、1,2年でやめてしまったのですが、凝り性の私は、結局ラジコンを高校2年くらいまでやってました。そのころは、某模型店に入り浸り、その模型店の選抜メンバーの一人として、タミヤグランプリ(静岡市にある田宮模型が主催するラジコンレース)なんかに出たこともあります。レースの後に、田宮の工場見学なんかがあったりして、おぼろげな記憶ながらも懐かしく感じます。

なんでも作りたいと思う私は、既製のキットに飽き足らなくなり、自分で車体を自作するようになりました。グラスファイバーの板を買ってきて、家でのこぎりで切ったりとか、今考えるとよくやったと思います。ネジとか工具類なんかも随分たまって、自分の部屋の一角がちょっとした工作室っぽくなってました。
エンジンカーにもちょっと手を染めました。エンジンといっても、2サイクルの焼玉エンジン。私の買ったエンジンは1.8ccの排気量です。エンジンは購入後、慣らし運転をしなくてはいけません。プロペラをつけて、手で回すのですが、買ってから2,3週間、エンジンは全く動いてくれなかったのです。ある朝、学校にいく前に一生懸命プロペラを回していたら、ついにエンジンが動き出したのですが、エンジンの止め方がわからず、見かねた父が手を出してプロペラで手を切ってえらい怪我をしてしまった、なんてことがありましたね。
エンジンカーは、あまりにスピードが速すぎて、自動車としては全く制御不能な感じでした。エンジンの力が車体の能力をはるかに超えていたのでしょう。おかげで、あっちこっちにぶつけ、ほどなくエンジンカーはやらなくなってしまいました。

高校生になってからは、ラジコンで一緒に遊ぶ友達も少なくなり、一人で細々とレースとかに出たりしましたが、そのうちだんだんやらなくなりました。大学に行く直前に、自分の持っていたラジコンのセットを模型店に中古として引き渡し、そうして私のラジコン人生は終えたのです。


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