外国でウケる日本の曲(03/10/11)


最新のハーモニーで今回一番興味深かった記事は、日本の合唱音楽をいかに発信するか、という座談会。
ここで語られている苦悩というのは、実は合唱というジャンルにとどまらないことだと思うのです。
恐らく、日本人というのはプレゼンテーションというのが非常に苦手で、相手に何かを伝えることを戦略的に考えることができないのです。最後には、気持ちを込めて訴えれば必ず伝わるはずだというなんとも心もとないノリだけで押し通そうとする。結果的に、それをハズしてしまったときのやり切れなさだけが残ることの何と多いことか。

この座談会で、最も戦略的かつ的確な意見を言っていたのは、恐らく大谷氏でしょう。
特に、外国人に好まれる日本の合唱曲として、柴田南雄、間宮芳生氏の名を挙げ、むしろ西洋音楽の文脈で日本人の心情を歌うような作品はウケない、という意見には大いに共感。さすがに、ウケない作曲家の名前を具体的には挙げていませんが、私なら、高田三郎、鈴木憲夫といった名前が思い浮かびます。

昔、何かで読んだのですが、外国で一番読まれている日本の作家は三島由紀夫なのだそうです。
さもありなん、と私は思います。三島由紀夫からは多くの日本的アイテムが想起できます。能とか金閣寺(←そりゃ小説の名前^^;)とか。しまいには切腹までしましたし。
ところが、私の貧しい読書体験から言わせてもらうと、三島由紀夫という作家は恐ろしくロジカルな文章を書く人で、ある意味日本人の思考とは系統が違うような気もします。
つまり、心情的に欧米人が理解でき、なおかつ日本的アイテム満載というのが、外国人にとっての三島由紀夫の魅力なのではないかと私は思います。

もし、短時間のうちに我々のプレゼンテーションが効果を上げることを狙うのなら、自分たちの好きなものを一生懸命説明しようとするのではなく、相手が好きだと思われるものを見せるべきです。このような考え方を嫌う人は多いでしょうが、本来コミュニケーションとは、自分が主張することよりも、相手が何を考えているか考える力のほうがよほど大事なのです。
残念ながら、たかだか数日では日本人のメンタリティなど通じるはずもありません。本当に日本のことを知りたい人は、日本に何年か住まなきゃいけない。それに気付かず、日本人とはこういうものです、などと一生懸命説明すると(実は私もついそういうことを言ってしまう)、結局怪訝な顔をされたりするのです。

国民性、民族性というのは、多分、表層的な部分と心情的な部分で成り立っているのだと思うのです。表層的な部分は、いわゆる文化と呼ばれるようなもの、つまりファッション(衣装)、食文化、音楽、芸能、美術の類です。そのような表層的な部分は、誰の目から見ても明らかな差異であって、外部の人が最も面白いと感じる部分です。
日本人の場合、文化というと、メンタルな部分が強調されるきらいがあり、そこをうまく切り分けることが出来ないように感じます。逆に、日本文化というのは、メンタルな部分だけ残しつつ、表層的な部分を簡単にすげ替える歴史の連続だったようにも思います。

そういう意味では、実はこの問題、我々日本人が自分たちの古い文化を省みず、外国から来るものをクールだと感じてしまうメンタリティ自体が問われているようにも感じます。その意識のずれが、外国に対するプレゼンテーションのブレとなって現れるのです。
ならば、もっと戦略的に割り切って(←という表現が良くないかも)、表層的な日本的な音というものを聞かせてあげる方が、多分フェスティバルとして正しい方向なのだと私は感じます。出来れば、それをきっかけに私たち日本人がこれまで大切にしていた表層的な文化をもう一度再評価する機会にもなると思うのです。


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