楽譜公開と著作権(03/8/2)


すでにご存知かと思いますが、先日購入したシベリウス2を使って書いた楽譜を公開しました。
この楽譜を見るためには Scorch というシベリウス社のプラグインが必要ですので、よろしかったらダウンロードしてインストールしてください(もちろん無料)。譜面表示のページに行けば、インストールの案内が出てくると思います。
やはり、ただMIDIで聞くだけでなくて、楽譜を見ながら曲を聴いてもらうほうが作品のことを良くわかってもらえますし、より多くの人に楽しんでもらえるのではないかと考えています。
今回公開したのは、先日作曲した仮想楽器のためのアンサンブル第5番ですが、私の創作のメインである合唱曲の場合、詩の著作権の問題もあるので、いまのところ楽譜公開は考えていません。

今まで、自分のページにおける著作権の扱いに関しては、敢えて言及していなかったのですが、現在私自身が思うところをちょっと書いてみようと思います。
最近は、ネットの拡がりにより、著作権とは無縁の多くの人が少しずつこのことを考えざるを得なくなったようです。身の回りでも著作権のことを気にする人が増えてきたのを実感しています。
法的な意味での著作権は、もちろん全てを理解できるほど簡単なものではないので、私もあまりヘタなことは言えないのです。ただし、著作権のことを考える場合、この行為が法に触れるのか、という観点でしか考えない場合が多いのはちょっと残念な気がするのです。真面目な人ほど遵法意識が高く、結果的に文化活動を阻害する場合のほうが多いと私は感じます。誰だって、面倒なことはやはり避けたいですから、著作権で問題がある作品となれば、演奏に二の足を踏んでしまうでしょう。

朝日新聞で著作権関連の連載があって、なかなか興味深く読んでいます。言ってみれば問題は二つあるわけです。一つはコピー文化により、著作権が守られず、創作活動に適正な報酬が得られないという問題。しかしもう一つは逆に、過度に保護されることによって、創作物が広く人々に楽しまれることが阻害されているという問題です。
例えば、昔製作されたテレビ番組を再放映しようとすると、製作者全員の了解が必要となり、権利関係を調整するのに大変なコストがかかってしまうというような例。その他、よく知られている話としては、過去の映画の権利が消えないように映像著作権の期間が70年に伸びたという話。これは業界にとってはウェルカムであっても、文化を享受しようとする立場からは決して良いことではないわけです。
こういう状況には多くの人が危惧を抱いています。残念ながら音楽創作家の場合、著作権使用料の報酬の少なさからどちらかというと保護を訴える人の方が多いように感じますが、私自身は過度の保護が文化を衰退させることになりかねないという論調に賛成です。

そんなわけで、私の公開する楽譜に関しては、以下のようなポリシーを掲げてみようと思います。LinuxのGPLなんかに近い発想です。

著作権を放棄するっていうのが、なかなか過激でいいでしょう!(もちろん、放棄するのはサイト上で楽譜を公開した曲だけです。)
これこそ職業でない、日曜作曲家としての面目躍如だと思いますが、いかがでしょうか。



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