インターネットの功罪(99/6/7)


などというと、大層な話になりますが、最近ちょっと感じることがあるので書いてみます。
最近の流行とか、ブームとかってあまりに速く広まって、そしてすぐに消えてしまうと思いませんか。食品しかり、音楽しかり。たまごっちなんかもそうですね。 こういうので一儲けいる人もいれば、ブームのタイミングを間違って大損する人だっているはずです。誰だって儲けたいわけだから、うまくブームを作りたいなんて目論んでいる会社もたくさんあることでしょう。 こういった嵐のようなブームを支えている一つの情報網としてインターネットがあげられるのは明白な事実でしょう。現実的に、どれだけインターネットがそれだけの役割を担っているかは想像も出来ないですが、人々が情報に振り回されている原因の一つの象徴であるのは確かだと思います。

しかし、本来インターネットとは、様々なマイナーな情報を各個人が発信できる、あるいは多種多様な情報を得ることが出来るというメリットが良く言われていたように思います。 私のような草クリエーターにとっても福音であったはずです。 しかし、多種多様であるところのインターネットは結局、情報の集中化しか招いていないのではないか、と私は思うようになったのです。
考えてみれば、情報を発信したいと思う人よりはるかに多くの情報を得たいという人がいるわけです。「今、こんなことが流行っている」という言葉に、結構人というのは弱いようでその情報を拾いに人々は群がります。気が付けば、コンテンツの内容に見合わないくらいの妙なブームが起こってしまうように思います。

まあ、それはそれで公正な競争社会の一幕ではありますが、ブームのあり方自体が、人々の行動様式を変えてしまい、本当に実のある文化が根付かなくなってしまうのではないか、という危惧があります。いわゆるスターもブームの形式で現れてしまい、大衆に消費し尽くされたらおしまい、って感じもありますね。松坂投手や宇多田ヒカルなんて10年たって生き残ってるかな。
衛星放送もこれからは多チャンネル時代に、なんて言ってますが、結局どこかの番組だけが売れまくって、他のチャンネルも追随して、気が付いたら今の民放みたいに少数の資本力のあるコンテンツ会社だけが同じような番組を放映している、なんて未来が予想できます。
ちょっとインターネットからそれましたが、こういった高度情報社会が結局、 情報の集中化しか招かないとしたら、それは悲しいことです。 面白いコンテンツだけを追い求めるだけでなく、もっともっと実のあるコンテンツが人々に望まれるようになるには一体どうしたら良いのでしょう?


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