SF映画考(03/5/5)


私は結構SF映画が好きです。それほどSFマニアというわけではないけど、何か自分の好奇心をとても刺激してくれるのです。
特に最近は映画でもCG技術が発達してきて、現実にはあり得ない映像というのがリアルに作れるようになってきたせいか、ファンタジーやSFなどの映画が多くなってきたように思います。
SFの面白さというのは、今現在の世の中とは違う世の中を見せてくれるという点にあります。逆に作り手側は、そのような作品世界を構築するにあたって、社会的、文化的、そして技術的な面での広範な思索が必要となり、そのセンスが問われることになります。SF映画を見れば、どんな作品でも「それはないだろう」とかの突っ込みは一つはあるもの。そういう空想世界のリアリティが嘘っぽいほど、失望してしまうわけです。
まあそうは言っても、映画はどうしても一般大衆を楽しませるために作るわけで、特にアメリカ映画なら絵に描いたような勧善懲悪的作り方になってしまうのは仕方のないことです。人々は現在の世の中の善悪観からしか物事を考えることが出来ず、それを前提に物語は出来ています。それでも時々、その善悪観そのものを作品のテーマにしてしまうような哲学的なテイストを持った作品などが生まれて、私などそういった作品に思わず心惹かれます。

かなり昔の映画ですが、「惑星ソラリス」は私の好きな映画の一つです。
旧ソ連の1972年の作品で、さすがに今の映画に比べると、映像技術はだいぶ古いものですし、ダラダラと続く緩やかで長いカットが今のスピーディな映画展開とは全然違っていて、一般的には少々退屈な映画と思われてしまうかもしれません。
しかし、昨今のSF映画にあるような地球外生物(いわゆる宇宙人)の描き方に比べると、逆にものすごくリアリティを感じます。人間が想像できる範囲を超えた生物、あるいは意識、というものは、結局のところ人間に理解できるわけもなく、その理解できない感覚を人間側から捉えたらどうなるかという視点が、本質的にSFとして正しいやり方だと思うのです。
何らかの意識を持っているといわれるソラリスの海が、人間に対して行う行為(心の傷を実像化してしまう)は、この映画では人間に恐怖感を与えますが、それは決してソラリスが人間を攻撃しているとは言えません。結局、ソラリスが何を意図して、人間にこのようなことを行うのかはわからずじまいです。しかし、実際に未知なるものと出会うというのはそういうことなのだと思います。
実際、宇宙人が出てくるほとんどの映画というのは、宇宙人そのものが人間的感覚で作られています。
先日、ドリームキャッチャーを観たんですが、宇宙人は人間を侵略するおぞましい生物という典型的なイメージで描かれていました。去年観たサインなんかもそうですね。まあ、これらの映画は、侵略者に立ち向かう人々の物語という側面が強いので、それはそれでよいですが、人間より進んでいると思われる宇宙人が、いずれも気味悪い怪物のような格好をしているのはちょっと釈然としないものがあります。宇宙人は服を着ていないのか?とか。

実は今頃になってマトリックスを観たのですが、この映画結構気に入っています。
あんまり流行っていると、その映画を見に行きたくなくなるあまのじゃくな私ですが、この映画は見るべきだったなあ、と素直に思いました。この映画では、派手なアクションシーンが多く、その特撮も十分見るべきものはあるのですが、映画が提示する世界の設定が、なんだか自分の存在の根底を覆されるようで観る者に大きなインパクトを与えます。
もっともSF的には使い古されたネタとも言われているようですが、所詮SFなんて多かれ少なかれ作り手の考えることはそう違うものではなく、その作品世界の細かいディテールの構築や、その作品世界に繰り広げられるストーリーにこそクリエータの腕の奮いどころがあるわけです。
あと、エヴェンゲリオンのときなんかもそうでしたけど、神話や宗教的な物語とのアナロジーを持たせたり、そういう用語を多用したりすることによって、オタク心を刺激するという点も見逃せません。

今年は、ソラリスのリメイク版もあるそうだし、マトリックスも続編があるので、見に行きたいSF映画が目白押しです。


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