宇宙への夢(03/2/8)


私は小さい頃から宇宙が好きでした。一頃はプラネタリウム通いをしたこともありました(「凝り性その3 -プラネタリウム篇」参照)。だから、宇宙開発にも興味がありましたし、高校生の頃には、人類は人口問題や環境問題を解決するためにスペースコロニーに移住すべきだなどと殊勝なことを考えていました。
でも不思議と宇宙飛行士になりたいとまでは思っていなかったようです。子供ながらにそんなの自分になれるわけない、と妙に現実的に考えていたのでしょう。

スペースシャトルが活躍し始めたのも私が高校生の頃くらいだったと思います。
ちゃんと行くときと同じ姿で戻ってこれるというだけで、SFに出てくるような宇宙船にまた一歩近づいた感じがしたし、ただのロケットではなくもっと身近な乗り物をイメージできたので、随分この新しい宇宙探索計画にワクワクしました。
私はNASAの関係者ではないですから、宇宙開発に関しては夢の領域でしか語れません。それは、世界中のほとんどの人とて同じことでしょう。
いずれ、宇宙ステーションが出来て、宇宙船が地球と定期的に往復するようになり、宇宙ステーションで様々な作業が可能になると、月にも容易に行けるようになる。エネルギーは太陽光が豊富にあるし、月にある資源を使えば宇宙だけで必要な建造物を作れるようになる。そうやって開発全体のコストが下がり、安全性も上がれば、いずれ一般人も宇宙観光できるようになるかもしれない・・・

しかし、どんなシステムも完璧ということはあり得ないのです。
夢を現実につなげるためには、リアルな現実の諸問題を解決せねばなりません。それは当事者でなければわからない。しかし、そのリアルな諸問題は時として破綻し、突然我々の目の前に恐ろしい夢の破片を突きつけます。
スペースシャトルコロンビア号の空中爆発は、改めて宇宙の怖さを我々に知らしめました。そして、宇宙開発に夢があればあるほど、その結末は痛ましく私の心を揺さぶるのです。地球上空6万メートルで散った宇宙飛行士の想いは(そんなものは一瞬だったと思うけど)何とも無念で一杯だったのではないでしょうか。あるいは、どうして私が?と思ったかもしれません。
仮にこの事故の原因がなんらかのミスによるものだったとしても、私には誰も責められないような気がしています。まだまだ我々の技術は(人災に対するコントロールも含めて)未熟なのです。そして、それを改めて感じさせられたのです。

1986年にチャレンジャー爆発事故が起きたとき、恐らく今回と同じような想いを当時大学生の私は感じました。そうした夢とリアルな現実の落差に愕然とし、その悲劇的な出来事に戦慄しました。どこにも向けようのないその気持ちは、私が曲を作ろうと思う動機となるのに十分でした。
私ごときが今回の事故の哀悼の意を示すなどというのはおこがましいのですが、そんな気持ちを込めて、そのとき作った歌をここに載せたいと思います。なお、詩だけではわからないと思うので、手弾きで入れた(ちょっと恥ずかしいですが)MIDIデータを聞けるようにしてみました。
7人の飛行士のご冥福をお祈りいたします。


時代は彼等を犠牲にした 〜チャレンジャー爆発事故に寄せて〜

ある朝雲一つない空に
希望と期待が注がれた
誰にも見えない悲しみは
光った爪を隠してた

時代は彼等を犠牲にした
聞こえるはずのない悲鳴残し
時は流れてそれでもすべてを
許してしまうだろうか

多くの先駆者の魂は
運命呪っているだろうか
彼等が本当に欲しいのは
死後の名誉じゃなかったのに

時代は彼等を犠牲にした
果たせない夢 胸に残し
時は流れてそれでもすべては
忘れ去られるだろうか

百万分の一の確率は無情にも
彼等の頭上に降り立とうとしていた Hum

時代は彼等を犠牲にした
聞こえるはずのない悲鳴残し
時は流れてそれでもすべてを
許してしまうだろうか




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