デフレ万歳!私的経済理論(03/2/1)


友人が昔こんなことを言ってました。
「経済っていうのは、全体的に見れば経済成長が常にあることが前提で成り立ってる。」
真偽のほどは確かではありませんが、何となく説得感があります。今までの歴史は、常に新しい価値が生まれ続ける連続であったはずです。それはとりもなおさず、経済成長を意味するものでありましょう。

世の中、デフレ、デフレと騒がしい昨今です。景気の悪さは慢性的で、今ではマイナス成長も当たり前になってしまいました。マクロ的にみるならば、またいずれ循環して好景気になるのでしょうが、何か私にはもっと根本的な経済縮小が起こり始めているようなそんな気が実はしています。もし、本当にそうなら、そして冒頭の友人の言葉が正しいなら、これから起こるであろう経済現象は理論的には誰にも予測は出来ないということにならないでしょうか。

だいたい消費者にとってはデフレはありがたい。最近は本当に物が安くなりましたね。質さえ問わなければ、昔は相当高い物だと思っていたものが信じられない値段で売られています。
電気製品もいまや店頭に並んでいるのは日本製品だけではありません。かつて日本製品が世界市場を席巻したように、アジア各国の電気製品がすごい勢いでシェアを伸ばしています。おかげで、DVD再生機も液晶モニタもあっという間に価格破壊が進んでいます。家具なんかもすごいですね。確かに見た目は良くないかもしれないけど、この値段ならいいかと思わせるものがたくさんあります。
どうもデフレ退治というのは、借金の棒引き的な、産業界的な発想のような気がしてしまいます。もちろん、我々は消費者である一方、社会で何らかの産業に従事しているわけですが、むしろ今変えるべきなのはその産業界の仕組みではないでしょうか。

先ほど、根本的な経済縮小が起きているのでは、と書きました。
その最も大きな原因は、やはりインターネットだと思います。インターネットそのものというよりは、そこから派生して生まれた様々な考え方、行動の変化なのです。私の想像するに、例えば100年、200年後の歴史の教科書には、1990年代からのインターネットの普及は第二の産業革命、なんて呼ばれているような気がします。それだけ、社会全体に与えた(あるいはこれから与える)インパクトは大きいと思うのです。
具体的に何が変わったのか。一つは情報の共有という考え方。インターネットと平行して会社内でもたいていLANが構築されるようになったはずです。情報はネットを通じて共有され、誰もが見られることが当たり前になりました。共有するためのコストが、共有させたくない場合のコストより確実に下回っています。
ネット社会になったおかげで、これまで付きまとっていた様々なコストはかなり小さくなったはずです。スピードも圧倒的に速くなりました。これは取りも直さず、物価の下落に反映する要素となりえます。
もう一つ、インターネットによって変わったもの。それは情報のデジタル化、そしてデジタル化ゆえの問題が起きたことです。問題とは、複製の容易さということです。デジタル化された情報そのものを売って商売している人にとってコピー問題は由々しき問題です。私も何回か談話で取り上げましたが(「デジタルコンテンツのゆくえ」「薔薇色の未来?その1」など)、最終的にはこのコピーは取締りが不可能になり、あらゆるデジタルコンテンツはいずれタダになる、という究極の予想を私はしています。もちろん、本当にそうなるならば、音楽文化、映像文化は、今とは全く様変わりしたものになるとは思いますけど。
極端な言い方をすれば、「文化」とは、人間の生存に直接必要のない余計なもの、です。いまや、消費の中で生存に必要なものの比率はかなり低く、むしろ文化的な価値の高いものが経済成長を進めていた、と言えないでしょうか。そんな中で、デジタルコンテンツが最終的にタダになるのなら、これまた経済規模は縮小する方向に向かわざるを得ません。

今の世の中、何でもかんでも経済的価値に換算し得ることが前提になっています。
しかし、必ずしも経済的尺度が当てはまらないものというのはあります。社会の必要最小限の部分だけに経済活動が適用されるようなそんな社会モデル、あるいはそんな経済理論、というものはどこかにないのでしょうか。



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