合唱名曲選:ラシーヌの雅歌(02/12/14)


この曲こそ、誰もが認める合唱の名曲といっていいでしょう。
フォーレはかなり若い時期(二十歳前)にこの曲を作曲しましたが、それでもこれだけの名曲として世に残っているのですから、やはりフォーレの才能はすごいものだと思います。
「ラシーヌの雅歌」に限らず、フォーレの音楽の魅力とは、やはりメロディラインの美しさです。私自身は熱心なフォーレ愛好家ではないので、器楽曲などはあまり聴いた記憶がありませんが、例えば「夢のあとに」とか「シシリエンヌ」のような割とよく知られている曲のことを考えると、やはりそのメロディの美しさは類無きものです。
合唱曲の中でも最も良く知られている「レクイエム」も、他の作曲家のものとはあまりに雰囲気が違います。音楽的には比較的淡白なものの、これでもかというくらい美しいメロディによるレクイエムなのです。だからこそ、多くの人がこの曲を愛し、演奏会でも良く取り上げられる曲の一つとなっています。

いまどきの難度の高い合唱曲から比べると、この「ラシーヌの雅歌」のシンプルさ、素朴さは心温まるものがありますが、それでもこの音楽には何とも形容しがたい格調高さがあります。確かにメロディは美しいのですが、常に何か抑制されたトーンがあり、それがもっと大衆的な親しみやすさにまで降りてきてくれない感じがします。恐らく、そこには実直なまでにワンパターンな曲の基本的な作り方が作用しているようにも思えます。一つの曲とはいえ比較的長い曲ですから、普通の作曲家ならもう少し音楽を展開させてしまうかもしれません。
具体的にいえば、3連符系の分散和音による伴奏、オルガン的な伴奏のベースの扱いは曲中を通して不変です。合唱もほとんど四分音符中心であり、その雰囲気は曲を通して変わることはありません。しかし、それが上で言ったような曲のストイックな雰囲気を醸し出しています。

そのような曲の基本的な作りとは裏腹に、和声は比較的動きます。
そもそも、この曲の変ニ長調という調性がなかなかいい味を出しています。半音下げてハ長調にしたら、恐らくこの曲はそれほど名曲にならなかったかもしれません。もともと、調号の多い調を選択することによって、曲中に頻繁に現れる転調のイメージを和らげているようにも感じます。
例えば、23〜30小節にわたって実にきれいに音楽は流れますが、Des-dur で始まった曲は Des-dur と As-dur を移ろいながら次第に As-dur に転調しています。その転調はその一節を終わると元に戻ると思いきや、As-dur のまま間奏にメインテーマが現れ、そのまま中間部に突入してしまいます。しかし、その As-dur も中間部に入ってほんの数小節の間に Des-dur に戻っています。
再現部はもちろん Des-dur ですが、最初に転調した部分に入ると音楽は違うパターンになり、瞬間的に Ges-dur を感じさせながら無事 Des-dur のままきれいに曲を閉じます。
ちょっと細かい話になってしまいましたが、要するに曲の構成と調の構成があまり一致しておらず、むしろ調、あるいは和声はその場で最適な方向となるような別のベクトルで動いている感じがします。
特に転調の部分は、メロディのクライマックスと重なり、また和声の一拍毎の頻繁な変化もあいまって曲の中で非常に印象的なイメージを残します。例えば、28〜29小節は一拍毎に、Db -> F -> Bbm -> Abdim -> Eb(onG) -> Edim -> Fm -> Dm7-5 というように和音が変わります。このように凝縮された和声展開のうまさがこの曲の一つの魅力ともいえると思います。

ちなみにベースである私は、この曲がベースで始まり、中間部のクライマックスで「キラー(qui la)」とベースから歌いだされることに大きな快感を覚えます。
合唱曲も歌っていて、身震いするほど気持ちいい(というかゾクゾクしすぎて歌えなくなってしまうような)箇所というのが人によっていくつかあるものだと思いますが、私にとって中間部のベース「キラー」と歌いだすところはまさにそんな箇所の一つです。
実は先週末、大学時代に歌って以来、久しぶりに本番でこの「ラシーヌの雅歌」を歌ったのです。久しぶりにこの美しい合唱曲を歌い手として堪能したのですが、実は我々にとってこの曲で一番難しかったことは、フランス語を正しい発音で歌うことなのでした。



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