住基ネットについて考えてみる(02/8/3)


今旬な話題といえば住基ネットでしょう。マスコミでは連日このネットに対する批判が高まっており、離脱を表明する自治体が注目を浴びています。確かに考えてみると、この問題、意外と深いテーマだなと最近思うようになりました。
しかし、マスコミの住基ネットに対する批判にはいくらか感情的な側面があるようにも思います。自分に番号が振られることに嫌悪感を感じるようなことも言われていますが、考えてみてください。私たちはもうすでに様々な場所で番号を振られています。大学の学籍番号、会社の社員番号、クレジットカードの番号、保険証の番号、免許証の番号・・・。それらと住基ネットで振られる11桁の番号に違いがあるとも思えません。むしろ、問題なのはその用途ということでしょう。

技術者として私はこういった管理の仕方に一定の共感を感じていました。
だいたい役所の仕事は効率が悪すぎる、とは常に思っていたことです。このIT時代にコンピュータで情報を簡単に呼び出せないなんて、一般の会社に比べれば随分遅れています。ある程度の会社なら、様々な事務処理がかなりの割合でオンライン化されているのではないでしょうか。役所でも少し気合を入れて様々な情報をオンライン化すれば、相当な事務処理の効率改善が見込めると思います。それにより、役所の人数も減らせるし、結局は税金の無駄遣いを減らすことにもつながるわけです。もちろん、導入時点では逆にコストは上るでしょうが、それに余りあるコスト削減が将来できる可能性があります。
しかしこういった情報一元化が進めば、恐らく国民に振られた11桁の番号は、様々な省庁が個人のいろいろな情報をリンクさせる中心的な数字となるでしょう。例えば、病院にいけば保険証を提示します。もしこの診察記録が住基ネットにリンクされれば、個人の診察歴は番号さえあれば簡単に引き出せるでしょう。また、警察のデータベースとリンクされれば個人の犯罪歴、あるいは交通違反の類も全て引き出すことが可能です。公立の学校関係のデータがリンクできれば、学歴ももちろん引き出せるでしょう。
今まで国民の様々な統計を出すのに恐らく相当な時間を要したはずですが、例えば人口の調査とか、人の移動の調査とか、死亡原因の調査とか、そんなものがほとんどコンピュータのプログラミングだけで完結できてしまうとなれば、官僚にとって住基ネットは夢のような道具ではないでしょうか。

確かに自分の知らないところで、自分の人生が全て役所のデータベースの中で把握されてしまうというのはなんだか気味の悪いものです。マスコミで言われているように万全なセキュリティなどありませんから、こういった情報は比較的簡単に漏れるような気はします。だいたいセキュリティ破りを楽しむハッカーにとっては、一企業の社員のデータベースなどより、よほど破りがいがあります。こういった情報が表でなく裏の経由でしか漏れないとするならば、IT犯罪の温床となることは目に見えています。
もう一つ、私の懸念している問題があります。ちょっとSFちっくなんですが、この番号で完全管理が出来なかった場合、どうなるかということです。一人の人間として現実に生きているのに、その人に番号が振られていなければ、この人は社会的に生きていないことと同じになってしまわないでしょうか。あまりにあらゆる情報が一つのネットワークにリンクしているので、このリンクから外れたら最後、あらゆる行政サービスを受けることが出来なくなります。こういった人たちが少数なら、なんとか頑張ってネットに追加していけばいいのですが、もしかなりの人数がごそっと抜けていたら・・・。もはや、それは日本国の影響が及ばない暗黒の領域となり、もしその人たちが集まれば国家とは無縁な何らかの原始的なコミュニティが出来るかもしれません。

IT化による徹底的な効率が、人々の暮らしを逆に脅かす可能性があるということをこの住基ネットの問題は象徴しています。いっそのこと、このまま住基ネットをがんがん進めたらどんなことになるのか、不謹慎ながらたいへん興味があります。人間は自分の欲望に逆らって一体どこまで自分達の決めたルールに対して従順になれるのか、それが恐らく夢のようなIT社会に進化するための大きなテーマであるに違いありません。


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