日本的なものの遠因とは その2(02/6/15)


前回言ったことをまとめると
・日本全体が歴史的、地理的に単一文化圏として形成された。
・先進的な文化は常に中国からもたらされ、文化的に未熟な原始国家の姿が温存されず、絶えず文化は発展していった。
・外国との戦争がほとんどなく、異文化とロジカルな対話をすることがほとんどなかった。
といった感じになります。
これが、具体的に日本人的特質とどう結びつくのか、もう少し考えてみます。

恐らく、文明が発達する過程では、どの地域でも原始的な集団社会が存在したのだと思います。これは数十名から数百名規模の社会でした。独自な言語を持ち、価値観を持ち、そして原始的な宗教を持ちました。こういった集団は閉ざされた人間関係内で集団を維持していくために、人間関係に破綻をきたさないように、様々な局面で話し合いを重ねながら対処していたと思います。
ところが、さらに文化が発展し、行動範囲が広まることによって集団同志が出会い、小さな小競り合いが始まります。 最初のうちは、弱いほうが強いほうに吸収され、単一文化圏は拡がっていきますが、もはや単一文化圏を維持できないほど広くなった集団同志(これが要するに国家間の戦争に対応する)の戦いが頻繁に起きるようになります。自分達の風習も、言語の細かいひだも汲み取ることのできない相手に大いに戸惑い、そして恐れます。そのため人々は必要以上に攻撃的になり、敵国の中枢を完全に破壊しなければ安心できなくなります。しかし、そのような戦争は大変つらいものです。結果的には、普遍的で原則的な考え方で、相手と交渉する必要が出て来ます。そのような過程を何度も重ねることによって、双方の折衝はだんだんロジカルになっていきます。
同一の文化を持たない相手には、全ての要求に論理的な説明が必要です。そういったギリギリの状態で頼れるものは、実は抽象的な原理原則だということに気付くのです。これが、契約の概念に結びついていきます。
また、その戦争の規模が大きくなるにつれ、より国家が機能的である必要が生まれ、原始的な集団は次第に機能的集団に変化していきます。目的のために最適化された集団、それは個人にとっては必ずしも居心地のいいモノではないかもしれない。それでも、目的が達成されなければ国家の存亡に関わるわけで、そのためには能力のあるものが十分にイニシアチブを取る必要が出て来るでしょう。

恐らく、日本は上の話の異文化との遭遇の過程がすっぽり抜けているのです。つまり原始的集団のあり方がそのまま温存され、そのような集団が葡萄の房のように集まって一つの国家を形成してしまったのだと思います。
葡萄の房はあまりに多かったため、全体が階層構造をもつようになりました。下の階層にとっては一つ上の階層は立場的には上です。こういった何重もの階層構造は、明文化されないまま心理的に垂直な上下関係を生みました。これがいわゆる「タテ社会」として知られている私たち日本の社会構造なのです。
こういったメンタリティは社会の仕組みが変わっても、形を変えて残りました。原始的集団は地域に根ざした農民の集団が元だったはずですが、今では職場がその集団に取って代っています。本来、企業は極めて目的意識のはっきりした機能的集団であるはずですが、日本の「会社」とは、縄文時代の昔から延々と続いている原始的集団のあり方そのものであると私は思っています。
恐らくこのような原始的人間関係集団は世の中にまだたくさん存在していると思うのですが、たいていは政治経済から疎遠の過疎地だったり、発展途上の諸国にしか残っていないのでしょう。しかし日本の場合、文化、技術が十分発展した国家であるため、原始的な人間関係社会が温存されているということになかなか人々は気付かないのです。

さて、以上の話、私ひとりで創作したわけではありません。実はかなり昔に読んだ講談社新書の「ユニークな日本人」という本に相当影響されています。特に、外国との戦争がなかった、という視点は、なるほどなあ、と思ったのです。


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