日本的なものの遠因とは(02/6/8)


これまでいろいろと日本人のメンタリティについて語ることが多かったのですが、いったいその遠因はどこにあるのか、私なりに考えてみたのです。
まず一番大きな点は、ほぼ一様な文化圏を維持できるだけの適度な広さの国土であったこと。しかも、島であるため、この広さは地理的に限定されており、長い歴史の間不変であったことです。鉄道や、車、飛行機などの交通手段はせいぜい20世紀になって一般化したものです。それまでは、人の足か、馬でした。例えば2点間の距離があまりに長く(例えば数ヶ月もかかるような距離)、それぞれが進んだ文化を持っていれば、恐らく文化は2極化していくでしょう。せいぜい馬のスピードしか持たなかった19世紀までの人たちにとって、日本という国の広さは一つの文化圏が浸透するのにやはりちょうど良いくらいだったと思うのです。
また、これは歴史上の問題もあるでしょう。古代の日本史の起源は諸説ありますが、相対的に最も強力であった政治組織、すなわち大和朝廷が台頭してきました。もし同じくらいの力を持った政治組織がちょうど同じくらいの年代に存在したなら、日本は二つや三つの国になっていたかもしれませんが、結局日本は大和朝廷以上の政治権力が古代には発生しなかったのです。
以上のことは何を表しているかというと、日本中どこに行っても日本語が通じ、様々な生活慣習や宗教的信念がくまなく広がっているということです。もちろん地方ごとに多少の差はあるでしょうが、外国と日本ほどの差はないと思います。

さて、島国であったという点も非常に重要です。
日本史をざっと見るなら、日本という国は他の国に比べて外国との戦いが極端に少ないと思いませんか。思いつくのは鎌倉時代の蒙古襲来、秀吉の朝鮮出兵くらいです。もちろん明治以降はいろいろとありますが、それは日本の歴史にとってまだほんの最近の話です。(さらに細かい例外は目をつぶってください^^;)
陸続きでの戦争と、海をわたっての戦争では、恐らく渡って来るほうが圧倒的に不利です。ですから、日本は他の国には類を見ないほど外国との戦いが少なかった国と言えると思います。これに比べるとヨーロッパの歴史はすさまじいと思います。絶えず国同士が戦い、国境線が変わり、国そのものが滅び、また生成される。ヨーロッパは恐らく単一の文化圏が支配するには広すぎたのでしょう。今でもたくさんの言語、たくさんの文化が存在します。外国との戦いとは、異なる文化圏が戦うことです。そして、この経験が日本にはあまりになかったのです。
同様に島国である国は世界にもたくさんあります。日本にとって重要だったのは、他国が全くシャットアウトされた完全な文化的孤立状態であったわけでないということです。何を言いたいかというと、朝鮮半島が目と鼻の先にあり、先進文化圏であった中国文化が渡来しやすかったのです。そもそも、日本自体、元々住んでいた縄文人を大陸から来た弥生人が駆逐して出来た国家ですから、大陸との関係は非常に深かったのです。世の中の全く孤立していた他の島国とは違い、日本は常に最先端の思想、技術、科学を受け入れられる場所にいました。
上記の島国という地理的条件からは、異文化との激しい戦いが存在しなかったこと、ただし文化の発展に必要な情報だけは入ったこと、という2点が挙げられます。これにより、他の先進諸国とほぼ同様の文化的レベルを保持しながら、外国との戦争がない極めて特殊な歴史を1500年近く続けてきたことになります。日本の歴史は結局のところ内乱の歴史でしかないのです。

これらの断片をつなげ合わせるとどうなるでしょうか。
異なる文化圏との衝突が少なかったことは、結局のところ我々の思考にロジカルな部分の入る余地が少なくなったことを表しているように思います。他人がいるからこそ、自分が何者かはっきりさせねばいけません。他人がいなければ、自分を定義する必要はないのです。日本の中にいれば、話さなくてもわかることは多い。でも、文化圏の違う人たちとは、まず語り合い、お互い理解しあう必要があります。こういった努力をほとんどせずに1500年以上も日本は続いてきたのです。こういったメンタリティはやはり数十年程度では変わるはずもないのです。


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