音楽の怪しいリクツ 倍音篇(02/3/3)


音楽をやっていると時々語られるのがこの「倍音」という言葉。
自分としては、これが音楽性に直接影響を与えるほどのものは感じてはいないのですが、それでも美しい音を出すということに何らかの影響があるということで、良く話題に上っているような気がします。

倍音が聞こえると良くハモっているというのが一般的な常識。まあ、確かにきれいな和音が鳴っていれば、共通の高次倍音が強調されて倍音が良く聞こえてくるというのは理屈ではなんとなくありそうです。
現実に合唱の練習をしていて、倍音が聞こえてきた、という体験は誰でもあると思います。もちろん、良くハモっていたから聞こえたのかもしれないけど、実際には部屋やホールの特性などに依存することのほうがよっぽど多いような気がしています。合唱団の人数が多くて、ちょっと狭い部屋で、なおかつ部屋の材質などの条件が整ったとき、誰も歌っていないはずの高い音が聞こえてくるというのは良くあります。実際のところ、それで聞こえたからって「だから何よ」みたいなところがあって、単なる音響の物理現象以上のモノでしかないのがほとんどの場合ではないでしょうか。
などといってしまっては元も子もありません。それはそれとしても、例えば男声合唱の魅力とは豊富に含まれた倍音の響きにあるとも言われています。確かに倍音を含んだ各音が良く協和した密集和音を作れば、女声くらいの音域のところに聞こえてくる倍音というのはあるような気がします。密なアンサンブルの上にその響きがさらに広がる倍音があれば、演奏での相乗効果はかなり感じられることでしょう。

以前、ピアノ調律をちょっとだけ勉強させてもらえる機会がありました。
ピアノというのは弾いた後に音がだんだんと減衰していきます。ピアノの持つそれぞれの倍音が、またそれぞれ違った減衰をしていきます。一般的には高次倍音ほど減衰が早いので、ピアノは叩かれた瞬間は非常に倍音をたくさん含んでいるのですが、だんだん基音に近い倍音しか残らなくなっていきます。しかし、自然楽器というのは理屈上の美しい倍音列を持っているわけではありません。ピアノの場合も、高次倍音が実は必ずしも基音の整数倍のピッチで無かったりするようなのです。従って、ピアノの調律の際、聞くべき倍音と聞かなくてもいい倍音というのがあるらしい(かなり不確かな話^^;)。これはなかなか面白い話だなあとそのときは思いました。
それで実際に調律をしてみると、ピアノの音の中から倍音を聞き取るのは、最初はかなり難しいです。まだらの模様の中で眼の焦点を変えて見ると何かの図柄が浮き出てくる、なんていう絵がありますが、倍音を聞き取るのはあれの耳版といった感じ。確かに耳のよさは必要だけど、音楽的素養とはまた別次元の問題なのだと思いました。もちろん、調律師にとってはこれを聞き取るというのは非常に重要な仕事の一つなわけですが。

そんなわけで、ピアノに限らず、実は耳を澄ませばいろいろな楽器の倍音を聞き取ることは可能だと思います。
一番誰にでもわかるのは鐘の音でしょう。鐘の音というのは、時々とてつもなく音痴に聞こえることはないですか。あるいは音程感を阻害する何かを感じたりしないでしょうか。鐘の音はものによって、基音よりレベルの大きい倍音が存在します。特に多いのは五度上の音程の倍音(実際には3倍音ということになるのでしょうか)。これで旋律を奏でると、常に強烈な五度上の音がなり、ハ長調でも同時にト長調の旋律が混ざっているような感じになります。
このように、単音だけで倍音が多いということは必ずしもいいことではありません。良く発声などで、倍音を含んだ良い声、などと言われることがありますが、それはどんな音なんだー、と突っ込みたくなることがあります。音楽的には倍音だらけのギーといった音よりも、倍音を全く含まないサイン波のほうがよほど良いような気もするのですが...。
恐らく、倍音は単音で聞かせるものではなく、協和したときの和音の響きの拡がりを示すパラメータなのだと考えるほうが良いのだと思います。


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