初演の緊張(01/12/16)


客席で自作の初演を聞かせてもらう、という経験はまだまだ若輩者の私にはそう多くはないのですが、昨日静岡大学混声合唱団の定期演奏会で久しぶりにそんなドキドキ体験をさせていただきました。
聞いている間は自分でも不思議なくらいに体に力が入ってしまい、正直言って演奏を堪能しているとはとても言えません。別に何を恐れているわけではないのですが、今この一分一秒で自分の曲があらわになっていくことに何ともいえない緊張感を感じているのだと思います。例えるなら・・・、スペースシャトルの発射の時のNASAの技術者の気持ちもこんな感じなのかもしれません。(もしかしたら、全然違うかもしれませんが)

しかし今更ながら、自分の曲がどのように演奏されるか、というのは非常に興味深いことですね。
「だるまさん」のときも体験しましたが、自分が思い描いたものとはまた違うことをされる場合があります。しかし、これは演奏者にとってのもう一つの必然であって、そういった演奏も私は素直に受け入れるべきだと思います。確かに、しばらく違和感を感じならがらも時間が経つと、それもいいなあ、なんて思えるからやっぱり不思議なものです。
もちろん作曲中には、かなり明確なテンポ感を持って音楽を頭の中で想像します。試し聞きで打ち込みをするときも、自分の思っていたテンポというのが本当に一つずれても違和感を感じるくらいあるはっきりしたテンポを感じています(これに比べると、音量感は実はかなり曖昧なのですが、私の場合)。しかし、実演奏になるとこのテンポ感はあっさり消え去ってしまうことがよくあります。みんなの気持ちが盛り上がってくれば、知らないうちにテンポ感も軽やかになったり、会場の響きの関係で妙にゆったりしたテンポ感になったり、要するに演奏する環境によって、音楽はいくらでも変わりうるのです。そして、これぞ実演の面白さでもあり、怖さでもあります。
自分が指揮をやっているときなど、作曲のときとは比べ物にならないほどのアバウトさで音楽を感じているわけで(それはそれで良くないが^^;)、自分の思い描く演奏と実演とのギャップは、自分が演奏者から遠い立場であればあるほど大きくなるものなのでしょう。
もしそういう事態を作曲家が好まないのであれば、彼は自分で指揮しない限り自作の演奏は認めないということにならざるを得ません。ところが、今度は練習の段階で自分の思い通りに歌手が歌ってくれなかったら・・・。つまるところ、作曲家が思い描いた音像をそのまま再現することはほとんど不可能なことです。そしてその必要もないと思います。作曲家が書いたスコアからどれだけの情報を指揮者が読み取るか、そういったセンスの違いがやはり実演を面白くする一つの要素だと思うからです。そういう意味では、作曲家と指揮者(あるいは演奏者)は、難解な疑問を投げかける者と、その謎を解いていく者とのスリリングな知恵比べのような関係と言えるかもしれません。

ちなみに、今回の静大の初演では2度ほど練習にお邪魔し、一度は自由に振らせて頂いたりしたこともあったので、かなり私がイメージした音像に近いものとなってしまいました。事前にMIDIデータを渡したことも大きな要因だったでしょう。私も調子に乗って言いたいことを言ってましたので、学指揮の方には迷惑だったかもしれません。もちろんそれはそれで面白かったものの、また別の機会に他の団体がいろんなスタイルでこの曲を演奏するのを聞いてみたいものですね。


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