日本語の正しい歌い方(01/12/1)


もちろん、「日本語の正しい歌い方」などというものがあれば、私が教えて欲しいくらいです。
指揮者、作曲家、声楽家によって言うことも違います。外国語ならいつも話す言葉ではないので、言葉の意味や発音など、多くの合唱団が調べた上で練習に臨んでいると思います(内容の良し悪しはあるとしても)。ところが、日本語というのが私たちにとってあまりに自然すぎて、それをミクロ的な視点で考えてみる機会というのは思っているより多くはないような気がします。要するに日本語のディクションの問題です。

いろいろな考え方があると思いますが、私が最近最も気にしているのは、「助詞」の扱いです。
以前「日本語の詩と曲の関係」の中で述べたのですが、日本語の単語は音節数が多く、旋律が島状になりやすいのです。この結果、旋律の中で伸ばす音(音価の長い音)に助詞が割り当てられることが多くなります。つまり、例えると「○○はーー、○○でーー、○○だーー」みたいな感じです。声楽というのは他の楽器と違って、音の立ち上がりが遅いことが多く(それは訓練で直すべきですが)、結果的に音価の長い音が音量的に膨らんで聞こえることになります。それで、先の例にあてはめて「は」とか「で」とか「だ」が音量が膨らんで聞こえたらどうなるでしょう。語尾上げみたいな、いまどきの女の子の話し言葉のような感じになりませんか。おまけに、この助詞部分の発音が平べったくなったら目も当てられません。
上のような問題を解決するためには、単語そのものが旋律に乗っているときは少しはっきり大きめに出し、助詞に入ったら意識的に音を引かせるような歌い方をするべきだと思います。あんまり意識するとちょっとあざとくなってしまいますが、それでも各団員が少しずつ気をつけてくれればかなり良くなるのではないでしょうか。

もう一つ、上記と関連しますが、日本語のディクションの問題として「母音」の扱いがあります。
文字上では、日本語の母音は5つです。しかし、話し言葉で本当に日本人は5つの母音しか持っていないのでしょうか。当然ながら、私は違うと思います。ですから、日本語は5つの母音しかないのではなく、5つの母音の区別しかない、というのが正しい言い方でしょう。
実際には多種多様な母音があって、文字に書くときは同じ母音でも、話すときに微妙にその発音を変えているのです。その変え方は特に明文化されないままNativeな日本人は同じように発音するわけですが、例えば外国人が日本語を話したとき違和感を感じるのは、そういった微妙な母音の色の変化がないからでしょう。
詩に節がついて歌になったとき、話し言葉にはない冗長さが生まれます。一つの文字を発音する時間が長くなるのです。こうなったとき、日本語の語感を感ずるのが弱い人は、ひらがながまるで発音記号になったかのような平板な母音変化しかできないことがあります。そうすると、日本人が日本語で歌うのに、全く訴える力を失った音楽になってしまうのです。
もちろん、これを直すために、「ここの『あ』は暗く、ここの『あ』は明るく・・」などと、いちいちやってしまうと逆効果である場合があります(私はそれで結構失敗してしまうのですが・・・^^;)。こういった場合、合唱団でよくやる練習は各団員に詩を朗読させるというような練習です。もう一度、話し言葉のときの母音の色の記憶を呼び出し、それを無意識のうちに歌に反映させるために、これはやはり非常に有効な方法だと思います。
これが、先ほどの助詞の問題と少しつながります。
助詞はたいてい明るい母音の発音をしません。従って、助詞を伸ばすとき、音量操作だけでなくむしろ音色操作をもっと積極的に行うべきということになるのです。

こうやって理詰めで言ってしまうと随分窮屈な感じがしてしまいます。でも、うまい人はそれを自然にやっているものなんですね。合唱団の誰もがそうであればいいけど実際は違うわけで、そういった感性の弱い人には多少意識的な操作が必要だと私は思います。



inserted by FC2 system