気になる作曲家 武満徹篇(01/10/6)


武満徹といえば、泣く子も黙る日本が誇る現代音楽の大巨匠。
この世界をまともに勉強していない私には、とても知ったかぶりで批評など出来ようにありません。それが、世界的に有名な武満徹ならなおさらのこと。しかし、素人が知ったかぶりで好きだ嫌いだの熱くなれる近代以前の作曲家に比べると、武満徹を低く評価するなど怖くてできないような無言の圧力が日本の音楽界には蔓延しているかのようです。
このように難解かつ晦渋な現代音楽の世界においては、何よりも人の評価が頼りであって、いったん評価が定まってしまうと(もちろん、もっと長い間に評価は変わるかもしれませんが)右向け右とばかりに一斉にみんなが評価してしまうものです。何しろこの手の音楽は、音楽が「面白い」か「面白くない」かではなくて、「わかる」か「わからない」という判断基準を強要するのです。だからこそ、これらの音楽と向かい合わざるを得ない人にとっては「わかる」ことに、というよりは「何が良いのか情報を得る」ことに血眼になったりしているのですが、その結果その人の音楽的美的感覚で評価したとは思えないような抽象的、あるいは文学的な言葉だけがその評論に踊るわけです。
武満徹の場合、作曲家としてのキャリアの比較的早い時期に当時の大巨匠であるストラヴィンスキーに評価されたことが非常に大きいのではないかと、ちょっとへそ曲りの私としては邪推してしまいます。日本人はこういう大御所の評価には弱いですからね。
それからもう一つ、武満徹の特長は、彼自身が様々な芸術に絶えず関心を寄せ、そういったモチーフを自身の曲の中にうまく散りばめていることなどが挙げられるでしょう。そのモチーフの抜き出し方のセンスが他の作曲家に比べたら卓越しており、彼の音楽の神秘性、格調高さを印象付けるのに大きな役割を担っているものと思われます。

気が付くと私も武満徹の器楽曲のCDを3枚ほど持っていますが、正直に告白するなら同じ曲を5分と聴くことが出来ません。だって、面白くないんだもの・・・ああ、ついに言ってしまった。
重ねて言うなら、私が持っているCDの中で一番気に入った武満徹の曲は彼が21才の時に書いた「妖精の距離」という、ピアノとバイオリンの曲。本人にとっては習作もいいところかもしれません。所詮、私の審美眼は武満徹の二十歳そこそこのレベルで止まっているというべきなのでしょう。

さて、そんな武満徹ですが、残念ながら(幸いなことに、か)ほとんど合唱曲を書いていません。アマチュアにはほとんど演奏不可能な数曲のオリジナル曲があるのみ。
ところが合唱オリジナルから離れると、合唱編曲された「うた」シリーズが合唱人には広く知られており、また良く演奏されています。これは武満徹がちょっとした機会に書いたポピュラー風の歌を合唱編曲したシリーズです。「小さな空」とか「死んだ男の残したものは」などが人気が高く、一般の人が聞いても気に入ってもらえる曲だと思います。メロディは、どちらかというと一昔前のムード歌謡的世界なのですが、それがまた郷愁を誘い比較的どの曲も安心して聞けます。もともとがそういう軽い意図で作られているのに、武満徹だからといって妙に重苦しく演奏しているのを聴いたりすると、なんだかなあ、という気持ちになることもありますが。
ただこの合唱編曲、むやみに難しくて、武満徹だからこういうのが許されるんだろうなあ、と思ってしまうのはやはり私がへそ曲りだからなのでしょうか。



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