私の本棚 異端篇(01/7/15)


私の本棚シリーズの続き。
幻想・耽美路線が高じてくると、多少異端的なものに触れることが多くなります。一見、アブない思想を持っているように思われてしまうかもしれませんが、世の見聞を拡げるためにもこういった本を読むのは良いことだと私は思います。
さて、まずはサディズムの語源でもある、マルキ・ド・サドによる一連の作品。特に有名なのは「悪徳の栄え」(澁澤龍彦訳)でしょうか。もちろん、予想通り、この本の主題は快楽のために他人に危害を与えること、そのものの徹底的な肯定であり、想像の限りの悪徳の羅列なのです。しかしこれは、一種の禁じられたファンタジーです。普通の人が、頭の中でふっと想像して、すぐに消し去るような、そういった類のファンタジーを、かなり持続した意志を持って書き続けたのがこの本ではないでしょうか。前半に現われる「強者は弱者を搾取する権利がある」といった哲学的主張を延々と述べるところは、逆説的に世の中を動かしている見えない原理を説明しているようでもあり、実に興味深いのです。

サドとくれば、やはりマゾ。語源はレオポルド・フォン・ザッヘル=マゾッホなる作家で、マゾッホの作品は「毛皮を着たヴィーナス」というのを読んだことがあります。これは、一人の女性を崇拝し、そして彼女から虐待され、残酷に扱われるほど官能を感じる男の物語といったところ。主人公は、女に対して自分を力で支配して欲しいと懇願し続けるのですが、最初は女のほうもためらいを感じます。しかし、女の中に天性の支配欲を感じた主人公は、ついに彼女を目覚めさせてしまいます。そして、二人の芝居じみた不思議な関係が始まります。これも一種のファンタジーなのです。しかし、そうとは言え、まるで人間の気持ちがオブジェの如く扱えることが、その寓話性を高め、不思議な官能の世界を呼び起こします。
先日もちらと書きましたが、日本におけるマゾ文学の最高峰と呼ばれるのが、沼正三の「家畜人ヤプー」。タイムマシンで未来に連れて行かれた日本人、麟一郎が未来の世界の習慣に従って(日本人はヤプーと呼ばれる家畜と成り果てている)、恋人のクララの奴隷へと変化させられる過程が描かれています。三島由紀夫、澁澤龍彦に絶賛され、今でもカルト的人気を誇っている奇書であります。

もう一つ、私の好きな異端小説として、夢野久作の「ドグラマグラ」を挙げたいと思います。
夢野久作自身、この小説を書くためにこれまで小説を書いてきた、と言っているとおり、この作品は徹底的な迷宮と、異端的モチーフが織り成し、全く不可思議な世界を描いています。最後には、小説の扱っている時間まで混乱をきたし、今の時間がいつなのかも定かにわからなくなります。もちろん、これは夢野久作が計算高く、小説自体を混沌の世界に陥りさせようとしているためだと思われます。
この小説の中には、いくつかのグロテスクなモチーフがあります。その一つは「胎児の夢」。胎児は進化の過程に沿って、母親の胎内で変形していきますが、この間、胎児は先祖が経験してきたことを全て夢の中で見るというのです。心理学者による論文調で、この内容は語られていきます。
もう一つ、私の記憶に残っているモチーフは、中国の画家の話。この画家は、戦乱に明け暮れる皇帝に人間の死のはかなさを知らしめるために、妻を死なせ、その死体が腐乱していく様子を克明に絵に書き連ねるのです。その絵を皇帝に献上した後も、この快楽に溺れてしまったその画家は、女を殺してはその死体を描く、という奇行を繰り返すのです。
ちょっと話は変わりますが、私とこの小説の関わりにはちょっとしたエピソードがあります。私が初めてこの小説を読んだのは中学生の時で、その本は当時クラスメートの女子が貸してくれたのでした(また後で自分で買って読み直しましたが)。プロフィールにもちょこっと登場していますが、クラスメートの女子とは、いまや「セーラームーン」の原作者として億万長者になってしまった武内直子。そういや、セーラームーンもちょっとグロいところありますねー。


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