合唱名曲選:カルミナブラーナ(01/7/7)


先日(7/1)、浜松市制90周年を記念したイベントとして、市制90周年祝祭合唱団によるカルミナブラーナの演奏会がアクトシティ浜松大ホールにて開催されました。昨年より、市内の合唱マニアの中で話題になっていたこのイベントには、当然ながら多くの知り合いが参加しています。私は平日練習ということもあったので参加はせずに、今回は聴衆として楽しむことにしました。
当初より、練習日程や役所による運営には疑問の声はあったものの、蓋を開けてみれば、中々の出来で楽しめる演奏会だったと思います。ソリストの実力には多少疑問がありましたが、メリハリのある音楽を的確な指示で伝えた指揮者(河合尚市氏)、地方オケとは言え中々の実力のある浜松交響楽団の演奏、そして何といっても400人の合唱団による圧倒的な音圧は刺激に満ちたものでした。そして、それはやはりカルミナブラーナという楽曲の魅力に負うところが大きいのではないか、とあらためて感じたのです。

合唱をしている人なら、カルミナブラーナという曲に触れたことのある人は多いのではないでしょうか。
そして、実際にこの曲を歌ってみると、音楽理論の素人であっても、この曲の極端な単純さにはすぐ気が付くことと思います。
はっきり言ってしまえば、書法的には単純というよりも安直とさえ言えます。音が少なくても徹底的に練られた音楽というのもあるわけですが、カルミナブラーナにはそういった音符レベルでの緻密な曲作りとは程遠いものです。
具体的に言えば、その和声の構成が、ほとんどの曲で同じポジションの3和音の連続により出来ています。その結果、機能和声学上の禁則である平行音程がバリバリに用いられることになり、一見超シロート的な作曲のようにさえ思えてしまいます。

しかし、だからこそ、極めて確信犯的なオルフの作曲態度が浮かび上がってくるともいえるのです。
少なくとも、1時間近い全ての音楽が、同じような曲の作りで出来ているにもかかわらず、一つ一つの曲に個性があり、聞く者を飽きさせないのはやはりオルフの手腕によるものでしょう。
そして、先ほどの平行音程による和音の連結は、楽曲のメロディライン、リズムの関係と無縁ではありません。いわゆる学問上での和声学は、せいぜい近代的メロディの上で成り立つものであり、基本メロディが違うのであれば最も効果的な和音付けが違ってきたっておかしくはないはずです。そして、このカルミナブラーナでは、詩の出所と同様、中世的なイメージのメロディであふれています。それは、近代的メロディとは違う(以前も言ったようなモード的旋律のような)エキゾチックで原始的な雰囲気のある旋律なのです。だからこそ、平行音程が気にならないと言えるかもしれません。
この曲においてはリズムの要素も見逃せません。この一小節ごとに繰り返されるリズムは現代のロック、ポップスの音楽構造を先取りしていたとも思われ、世の中が現代音楽に突っ走っていく中、20世紀の音楽(ちなみに作曲は1935-36年)の重要な潮流を作ったのではないかとさえ私は考えてしまいます。リムスキーコルサコフはオーケストレーションの段階で打楽器の魔力に溺れないことをつとに説いていました。ところが、オルフは全く正反対の立場で、常に打楽器が鳴ることに何の抵抗もないといった感じです。これは考えようによっては、大変なクラシック音楽における意識改革とも言えると思うのです。

この曲の素朴さ、プリミティブなパワー、あけすけな表現は、詩の世界、音楽の作りが全て巧妙に織り合わされることによって醸し出されているものです。そして、極小的な音符の配置に苦労する作曲家を尻目に、こういった雄大な構想を的確に表現することに成功したオルフという人はやはりタダモノではない、とあらためて考えさせられます。


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